使徒行伝14章1~18節

皆さん、なぜこんな事をするのか。わたしたちとても、あなたがたと同じような人間である。そして、あなたがたがこのような愚にもつかぬものを捨てて、天と地と海と、その中のすべてのものをお造りになった生ける神に立ち帰るようにと、福音を説いているものである使徒14章15節 (p.205)

序 論)使徒14章は、前の章から始まった「パウロの第一次伝道旅行」での出来事が記されています。ユダヤ人からの迫害によってパウロとバルナバはピシデヤのアンテオケを離れました。そしてそこから150キロほど南東にあるイコニオムに向かいます。(13章50-51節)。イコニオムとその後で彼らが向かったルステラで起こった出来事とパウロたちの言動から示されることは…

1、新たに歩む力を与えられる神様
  パウロとバルナバは、ユダヤ人の会堂に入って福音を語ります。パウロたちの宣教を通して、熱心に説教に耳を傾け、語られていることが自分のためだと受け止め、信仰が与えられた人たちがいました。他方、それを人ごととして聞いたり、反対する人たちがいました。(1-2)
   二人は、不信仰と自分たちへの悪意に向き合いながら、長い期間そこに滞在し、大胆に主のことを語りました。(3)
主イエスは、「しるしと奇跡」によって、「めぐみの言葉」を証しされました。(4)
しかし、反対派の人たちは、使徒たちをはずかしめ、石打ちの刑を企てます。あやうく彼らは難を逃れました。(5-7)
新たな伝道地ルステラはイコニオムの南40キロの地にありました。(6)
パウロとバルナバがルステラで出会った一人の男性は、生まれたときから足が不自由で、一度も歩いたことがない人でした。(8)
この人がパウロが語る福音に耳を傾けていました。そのとき、彼の中に救い主を求める心が起こされました。(9)
パウロはこの人に目を留め、彼の内にキリストを信じる信仰を認めたので、大声で命じました。(9-10a)
彼は、その言葉を受け入れて、今まで踏み出すことができなかった足を踏み出してみると、足に力が入り、立ち上がることができました。そして、喜びに溢れ、踊り上がって歩き出しました。(10b) 神様の御力があらわされたのです。
この人の癒しは、キリストへの信仰のゆえでした。神様は主イエスにより、人を罪の中から救われると共に、新しい力を与えられ、歩き出させることができるお方です。

2、恵みの神に立ち帰る
 その場に居合わせた人々は、この出来事に驚いて、その地方の言葉で「神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお下りになったのだ」と叫びました。(11)
   彼らは、バルナバをゼウス(ギリシヤ神話の主神)、ヘルメス(神々の使者)と呼びました。彼らはこの奇跡は神々の力によるのだと思いました。(12)
   そして、自分たちの祭司を呼んで二人に犠牲をささげようとしたのです。(13) パウロとバルナバは、上着を引き裂き(神を汚す行為への怒りと嫌悪を示す)、声を張り上げて、人々に語りかけました。(14-17)
「愚にもつかぬもの」(15)は偶像のことです。パウロは、まことの神様が万物の創造主であることを語りました。
さらに彼は、偶像礼拝から離れ、生ける神様に立ち帰れと語ります。(15)
人々は身体の癒しという奇跡に驚きましたが、日々、すべての人が生かされているのも神様の恵みです。雨や季節の変化も神様の恵みであり、実りや食物、様々な喜びも神様が与えてくださいます。それらもみな、神様のご慈愛とご配慮です。(17)
パウロとバルナバはようやくの思いで、興奮していた群衆をしずめることができました。(18)

結 論)ルステラの人々は、まことの神様を知らず、神への感謝を忘れ、偶像に心を奪われていました。それゆえに、パウロは生けるまことの神様に立ち帰るようにと叫んだのです。
神様を知らなかった私たちに神を示し、神を信じ、神と共に歩む者に造り変えるために、主イエスは地上に来てくださいました。そして、十字架で死なれ、復活されました。
主イエスは、神が人となられた神の御子、救い主(キリスト)です。主イエスの成された救いの恵みにより、主イエスを信じる者は、罪赦され、神と共に歩む者とされるのです。
今も神様は、主イエスを通し、ご自分のもとに立ち帰るように語りかけておられます。
神様以外のむなしいものに頼らず、今も生きておられる主イエスを信じ、従い、その恵みの中を歩み続けましょう。