だから、兄弟たちよ、この事を承知しておくがよい。すなわち、このイエスによる罪のゆるしの福音が、今やあなたがたに宣べ伝えられている。そして、モーセの律法では義とされることができなかったすべての事についても、 信じる者はもれなく、イエスによって義とされるのである。 使徒13章38~39節 (p.204)
序 論)パウロとバルナバは、マルコと共にアンテオケを出発し、キプロス島で宣教しました。(1-12) その後、彼らは、パウロの郷里に近い小アジヤ(現在のトルコ南部)に向かいます。しかし、マルコはエルサレムに帰ってしまいました。(13)
ピシデアのアンテオケで、安息日にパウロは会堂で福音を語る機会が与えられます。(14-16)パウロの語ったことを通して示されることは…
1、イスラエルの歴史と救い主(メシヤ)の預言
聴衆は、イスラエル人と「神を敬う人たち」(ユダヤ教への改宗者)でした。(16)パウロは、イスラエルの歴史を旧約聖書から語ります。神様がユダヤの民を救い出し(出エジプトの出来事)、荒野で彼らを導かれ、カナンの地を与えられたことを語ります。(17-20a)
カナンに定着したイスラエルの民は、やがて、ダビデが王となる時代を迎えます。(20b-22)(サムエル記上13章14節p.399参照 「主は自分の心にかなう人…」はダビデのこと)
神様は、約束に従って、このダビデの子孫からイスラエルに救い主イエス様をお送りになりました。(23)
主イエスが来られる前、イスラエルの民に悔い改めのバプテスマを宣べ伝えていた洗礼者ヨハネは、「わたしのあとから来るかたがいる。…」と、主を証ししました。(24-25)
パウロは説教を続けます。このとき、神様が主イエスによって成された「救いの言葉」、福音が救い主を待ち望んでいた「あなたがたに」すなわち会堂に集まっていたユダヤ人たちに語られようとしていました。(26)
今、この同じ福音が、世界中で、そしてここでも語られています。
2、罪の赦しと義認
ユダヤ人の宗教指導者たちは、主イエスがメシヤ(救い主)であることを受け入れませんでした。そして、主を十字架刑に処したのです。(27-29)
旧約の預言者たちは、救い主の死を前もって預言していました。(29)主イエスの十字架の死は神様の救いのご計画の中で成されたことだったのです。そして、神様は主イエスを復活させられました。(30-31)
神様のイスラエルに対する救いのみわざは主イエスの復活において成就したのです。ダビデは彼の時代に神に仕えた後、死んで葬られ朽ち果てました。しかし、主イエスは復活させられ、朽ち果てることのない者となられ、今も生きておられるのです。(32-37)
(33節は詩篇2篇7節(p.750)、34節はイザヤ書55章3節(p.1024)、35節は詩篇16篇10節(p.758)の引用です。)
主イエスの十字架と復活こそ、すべての人にとっての罪の赦しの福音です。(38a)
旧約のモーセの律法では、人は神の御前に義とされることはできませんでした。(38b)
主イエスは、私たちの受けるべき罪の罰を十字架の上で受けられ、私たちの身代わりとなって死なれました。その保証として神様は主イエスを復活させられました。
それゆえに、主イエスを信じる者はみな、罪赦され、神の御前に義とされるのです。(39)
「主は、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、よみがえらされたのである。」 (ローマ人への手紙4章25節 p.238)
結 論)パウロはこの福音による悔い改めをさらに促すため、預言者ハバクク(紀元前600年前後に預言者として歩んだ)の言葉を引用し、聴衆に警告して説教を終えます。(40-41)
ハバククは、イスラエルの民に、目前に迫った外敵による侵攻の危機を神の名において警告しました。(ハバクク書1章5節 p.1297)
パウロは、この言葉を神様が主イエスによって成された救いと共に信じない者(ユダヤ人たち)へのさばきを伴う警告として人々に示しました。
パウロが語った「モーセの律法によっては義とされることができない」(38)というメッセージはユダヤ人にとって大きなつまずきになりました。そして、この後、異邦人伝道が進展していくことになります。
律法を守ることこそ、ユダヤ人の宗教生活にとってすべてと言えるほどのことでした。しかし、自分は律法を守れない者、正しく生きることが出来ない者、罪ある者であることを正直に認める人にとっては、主イエスによる罪の赦しが大きな喜びとなるのです。