マルコによる福音書15章16~41節

 昼の十二時になると、全地は暗くなって、三時に及んだ。 そして三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 
  マルコ15章33-34節 (p.80)

序 論)ポンテオ・ピラトのもとで十字架刑に決まった 主イエスは、ローマの兵卒たちの手に渡されます。彼らは、主に紫の着物を着せ、いばらの冠をかぶらせ、嘲弄しました。(16-20) その後、主は刑場(「ゴルゴタ」と呼ばれる丘)に連れ出されます。(21-23) 十字架の主の御姿とその時起った出来事を通して示されることは…

1. 十字架の上での叫び
   主イエスが十字架にかかられたのは朝の9時ごろでした。(25) 十字架の罪状書きには「ユダヤ人の王」と書かれて いました。(26) 二人の犯罪人が、主イエスの右と左の十 字架につけられました。(27) 彼らは主をののしります。 (31)
28節の言葉は、イザヤ書53章12節(p.1022)の引用です。罪なきお方が、罪ある者たちと同じ最も低いところ(十字架)まで降りて下さったのです。
  刑場のそばを通りかかった人たちや祭司長たちは主をあざけります。(29-31)
  昼の十二時、全地は、暗くなりました。(33)これは、終わりの日に起こることとして、預言書に記されていました。(アモス書8章9節 p.1276)
  この暗黒は、父なる神様と御子イエス様の断絶を暗示するものでした。
    そして、3時に、主イエスは「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ (わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか)」と叫ばれました。(34)
この言葉は詩篇22篇の冒頭部の言葉でもありますが、それは、まさにこのとき、主イエスが経験しておられたことでした。(詩篇22篇1節 p.764)
  肉体的激痛、精神的屈辱以上に、前夜のゲツセマネの祈りにおいて主イエスが何よりも恐れておられたことは、この父なる神様との断絶でした。
  今まで、いつも共におられた父なる神様がこのとき、十字架上の御子イエス様を見捨てられたのです。どうして神様はそのようなことをなさったのでしょう。
  それは、私たちの罪の赦しのためでした。本来なら、すべての人が罪の罰として神様から見捨てられるべきでした。しかし、主イエスが、すべての人の身代わりとして、ご自分の身にそのすべての罪の罰を受けて下さったのです。それが、主イエスの受けられた十字架の苦しみと死でした。
 主の十字架によって私たちの罪は赦されたのです。

 2.百卒長の信仰告白
  十字架からの主イエスの叫びを聞き、預言者エリヤを呼んでいると誤解した人たちがいました。(35-36)
  最期に主は声高く叫んで息を引き取られました。(37)
  そのとき、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けました。(38) これは、聖所と至聖所の間の隔ての幕で、至聖所は、一年に一度、選ばれた大祭司ただ一人が、自分と民の贖いのために入ることを許される所でした。 (ヘブル人への手紙9章7節 p.351) その隔ての幕が裂けたことは、主イエスの死によって、旧約の祭儀の時代は終わり、新しい時代が始まったことを  象徴しています。私たちは、主イエスの御名を通して、父なる神様の御前に出、祈ることができるのです。
  主イエスの十字架の正面に立ち、主の死に至る御姿と一連の出来事を目撃したローマ人の百卒長は、「まことに、  この人は神の子であった」と告白しました。(39)
  12弟子たちは主イエスを見捨てて逃げ去り、宗教指導者たちは、主が神の子であることを受け入れませんでした。しかし、彼は唯一人、主イエスの御姿に、尊厳を感じてこの方を神の御子と告白したのです。彼の信仰の言葉は、やがてユダヤ人だけでなく、世界中の人々が、イエス様を神の御子、救い主と信じる時が来ることを象徴していました。  

結 論) ローマの兵卒たち、二人の犯罪人、群衆らのイエス様に対する姿は、神様をまだ知らなかったかつての私たちの姿と重なります。
     父なる神様は、そのような私たちを罪と滅びから救うために御子イエス様を地上に送られ、十字架にまで引き渡されました。それは私たちを愛するがゆえになされたことです。
    主イエスは、神のご計画に従い、まっすぐに十字架に向かわれ、十字架の上で最後まで血潮を流し続けてくださいました。
 イエス様が私の罪の罰を身代わりとなって受け、十字架で死なれたことを信じ、心に受け入れましょう。  主イエスは、私たちが父なる神様の愛を知り、神を愛し、人を愛する者へと変えられ、成熟するように今も働きかけ、 私たちの心にご愛を注ぎ続けておられます。  この四旬節のとき、さらに十字架の主を仰ぎ、神様の御手の導きと御守りの中、進んでまいりましょう。

    十字架の上の七つの言葉
① 「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは、何をしているのか、わからずにいるのです。」(ルカ福音書23:34)
② 「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒に パラダイスにいるであろう。」(ルカ福音書23:43)
③ 「婦人よ、ごらんなさい。これはあなたの子です。」 (ヨハネ福音書19:26) 「ごらんなさい。これはあなたの母です。」 (ヨハネ福音書19:27)
④ 「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」   (マタイ福音書27:46)(マルコ福音書15:34)
⑤ 「わたしは、かわく。」 (ヨハネ福音書19:28)
⑥ 「すべてが終った。」 (ヨハネ福音書19:30)
⑦ 「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます。」 (ルカ福音書23:46)