使徒行伝10章1~23a節

すると御使が言った、「あなたの祈や施しは神のみ前にとどいて、おぼえられている。 ついては今、ヨッパに人をやって、ペテロと呼ばれるシモンという人を招きなさい。  …」         使徒10章4-5節 (p.197)

序 論)この章は、聖霊によって使徒ペテロの心が徐々に 異邦人に開かれて行く様子が語られています。ローマの軍の百人隊長コルネリオとペテロ、それぞれが祈りの中で見た幻とその後に起こったことは…

1. 祈りや施しは神の御前に届いて、覚えられている
   コルネリオは異邦人ですが、ユダヤ教を信じていた人でした。彼は「神を敬い」(2)とあるように、主なる神を畏れ、祈っていました。そして、ユダヤ人とその信仰を尊敬し、  彼らに助けの手を差し伸べていました。
  「午後三時ごろ」(3)はユダヤ人の祈りの時間でした。その時、み使いがコルネリオに語りかけます。(4)  神様は彼の祈りと施しを覚え、祈りに応えてくださいました。
  御使いは、コルネリオにヨッパにいるペテロをカイザリヤに招くよう命じます(5-6)。ペテロは、皮なめしシモンという人の家に泊まっていました。(9章43節) 当時、シモンの職業は汚れたものとされていました。(レビ記5章2節p.139) ペテロは、聖霊によって、そのような差別意識や偏見から解放されつつあったのです。
  コルネリオは、御使いの言葉に、従順に従います。(7) 彼は、信頼できる使者を立てて、すぐにペテロを迎えにやりました。
   神様が、コルネリオの祈りを聞き、施しを覚えておられたように、神様は、私たち一人ひとりのことをすべてご存知であり、小さな祈りをも聞き、覚えておられるのです。私たちも神様に信頼し、祈り続けましょう。   

2.聖霊が与えてくださる導きと出会い
  一方、ペテロも、昼の祈りの中で幻を見ます。(9-10)
  天が開けて、大きな布のような入れ物が、四すみを吊るされて彼の目の前に降りてきました。その中にはいろいろな動物、そして鳥が入っていました。(11-12) それらは、律法によって汚れたものとされており、食べてはいけない、と命じられていたものばかりでした。 (レビ記11章1~47節 p.148)   神様がペテロに、「それらをほふって食べなさい」と命じられますが、ペテロはそれを拒みます。(13-14) しかし、御声はさらに促します。(15) ペテロはその幻を三度続けて見ました。(16)
いったいこの幻はどのような意味なのだろうか、神様は自分に何を語ろうとしておられるのだろうかと、ペテロが思案にくれていました。ちょうど、その時、コルネリオの使いの者たちが到着したのです。(17-18)
  聖霊は、彼に使者たちに会うように促します。(19-20) 使いの者たちの言葉(22-23)を聞いてペテロは悟りました。コルネリオは神様に示されて、自分を招き、福音を  聞こうとしている。そして、神様が自分に彼のもとに行けと命じておられる、と。
  先の布が降りてきた幻は、ユダヤ人と異邦人の間の隔てが取り除かれることを暗示していました。 神様は、主イエスの十字架によって、御前にユダヤ人も異邦人も共にきよいものとしてくださったのです。
 ペテロは、これらのことを悟り、彼らの招きに応じ、 ヨッパからカイザリヤへ出かけました。  このように、ペテロの異邦人伝道への道が開けたのは、 神様が、彼とコルネリオ双方に与えてくださった幻によるものでした。聖霊が彼らに働きかけてくださったことによって、ユダヤ人と異邦人の隔たりが取り除かれていったのです。
 私たちも、神様の導きの中で、様々な人たちとの出会いを通して、主イエス様とお出会いし、信じ、従う者とされました。

結 論) コルネリオは、神様の導きに従順に従いました。 ペテロも今までの異邦人に対する自分の考えや偏見を捨て、聖霊のみわざを受け入れ、それに従いました。それによって二人は出会い、キリストの福音は異邦人にも伝えられていったのです。
 私たちも、神様のみ言葉と聖霊の導きに従うことを通して、まず自分自身が造り変えられ、それぞれに必要な出会いが与えられます。 そしてその出会いを通して主イエスの福音が伝えられていきます。
 日々、み言葉を聞くために、神の御前に出て、祈り、示されたみ言葉に従い、主の御名を崇めつつ、歩みましょう。