マタイによる福音書16章13~20節

 そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。 すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。 …」       マタイ16章15-17節 (p.26)

序 論)この章では、イエス様と弟子たちが、ガリラヤから 北方のフェニキヤの方に行かれたときのことが語られています。今回の箇所では、ピリポ・カイザリヤ(現在のシリヤの町バニアス)でのイエス様と弟子たち(特にペテロ)との問答が記されています。ペテロの信仰告白とイエス様のみ言葉から示されることは…

1. ペテロの信仰告白
   イエス様は弟子たちに「人々は人の子をだれと言っているか。」(13)と尋ねられます。ここでの「人の子」はイエス様がご自身のことを示すときに使われた言葉です。   弟子たちは答えます。(14) バプテスマのヨハネの言葉 と行動は当時の人々に強い印象を残しましたが、すでにヘ ロデの手で殺されていました。ヘロデはイエス様をヨハネ のよみがえりではないかと恐れていました。(マタイ14章 1~12節 p.22)。預言者エリヤは終末までに、再び地上に現れると記されています。(マラキ書4章5節p.1326) エレミヤも南ユダ王国の時代に預言者として歩んだ人でし た。
   次にイエス様は弟子たちに尋ねられます(15)。
  イエス様のこの問いの言葉には、他の人々がどのように 思っているとしても、「あなたがたは」私のことをだれと答えますか、という弟子たちに対するみ思いが込められていました。
  弟子の一人、ペテロが代表して答えます。「あなたこそ生ける神の子キリストです。」(16) 彼の答えは、ただ イエス様がキリスト(救い主)であるというだけでなく、「生ける神の子」、すなわち天地を創造された神であり、天から降って来られたお方です、という信仰が込められています。
  イエス様は、ペテロの告白を喜んで受け入れられました(17)。彼は人間的な思いや考えではなく、聖霊によって、イエス様を神の御子、キリストです、と信仰告白したのです。
  イエス様とは誰ですか、あなた自身にとってどのようなお方ですか。これは私たち一人一人に対する根本的な問いかけです。

2.教会の土台となる「岩」
  「ペテロ」はギリシヤ語で、切り出された岩、という意味です。イエス様は、この「岩」(ペトラ)の上に教会を建てる、と言われます。ここでの岩は、第一義的には、ペテロの信仰告白のことを指しています。
  教会は、イエス様は神の御子であり、救い主であると信じている人たちの集まりです。また、旧約聖書、新約聖書には、「岩」という言葉が、神様やキリストを表す言葉として用いられている箇所がいくつかあります。(イザヤ書26章4節.975)  (Ⅱコリント10章4節p.267)等
  教会の根本的な土台は、十字架で死なれ、復活された主イエスご自身です。それゆえ教会は「黄泉の力」(「ハデスの門」新改訳)、死と罪のもたらす滅びに対しても打ち勝つことができるのです。
  「天国のかぎ」(19)は、神様に従う道を示すことや、神様のみ思いを教える権威のことです。
  後にペテロは「天国のかぎ」(天的な権威)(19)をもってイエス様が神の御子、キリストであることを証ししました。
 ペテロは、他の弟子たちと共に初代エルサレム教会の働きを進めていきます。それはペテロの力ではなく、イエス様からの力によるものでした。   

結 論) イエス様に対する信仰告白という共通の土台に立つとき、教会は揺るぎません。また「天国のかぎ」、すなわち天的な権威をもって、教会は神様のみ心を世にあらわしていきます。
 神様のみ心(み思い)を知り、神様に従うとき、私たちは 天の御国の民として生きることができます。今、イエス様 は私たちに天国の鍵を授けておられます。そして、イエス 様を信じ、共に生きる幸いを証しすることを願っておられ ます。
 イエス様に対して信仰告白できた幸い、イエス様の命に よって共に生かされている幸いを感謝し、日々の良き交わ りをもって、互いに主に結ばれた恵みをあらわしてまいり ましょう。