ペテロの第一手紙2章1~10節

 しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。           Ⅰペテロ2章9節 (p.368)

序 論)この手紙は、イエス様の12弟子の一人であるペテロが書いた手紙です。宛先は、AD60年半ばごろ、 迫害によって今のトルコ共和国の中部から北部に散らされ ていたキリスト者たちだと考えられています。今回の箇所で示されることは…

1. 「生ける石」、「かしら石」であるキリスト
   「霊の乳」(2)は、新改訳では「みことばの乳」と訳されています。赤ん坊が乳を求めるように、み言葉を慕い求めることを勧めます。私たちは、み言葉によって健全に成長することができるのです。
 またみ言葉によって主が恵み深い方であることをさらに味わい知ります(3)。6節はイザヤ書28章16節(p.978)、7節の「」内は詩篇118篇22節(p.853)の引用です。
  「捨てられた石」は、イスラエル民族に受け入れられず、十字架の死にまで追いやられたイエス様のことです。その石が「隅のかしら石」になったとは父なる神様がイエス様を復活させられたことを示しています。
  復活されたイエス様は、罪によって死んでいた(神様との関係が切れていた)私たちを生かす「生ける石」となられました。イエス様を神の御子、救い主と信じて、罪から救われ、永遠の命に生かされるようになった私たちも、イエス様によって「生ける石」(5)とされた者です。そして聖霊を内にいただき「霊の家」とされた者です。
  「この主のもとにきて…」(5)とあるように、私たちは「わたしのもとに来なさい。…」(マタイ11章28節  p.17)と言われる、イエス様のもとに行き、聖書のみ言葉と聖霊によって、日々新たにされ、「霊の家」として建て上げられていくのです。

2.主が選ばれた私たち
  主イエスを受け入れない人にとっては、主ご自身が、彼らにとって「つまずきの石、妨げの岩」(8)(イザヤ書8章  14節 p.953)となってしまいました。
  しかし、イエス様を信じ、従う私たちは「選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民」(9)とされた者です。
 イエス様ご自身が私たち一人ひとりを選び、救われ、神の子とし、神の民に属する者としてくださいました。
  かつてイスラエルの民は祭司を通して、神にささげものをしていましたが、今は、主イエスによって一人ひとりが神様の前に祭司とされたのです。私たちは、主イエスの御名によって神様の御前に出て、祈りをささげることができます。
  私たちは罪の暗闇の世界に生きていた者でしたが、 イエス様によって罪から救われ、神の光の世界に移されました。(9)
かつては罪の中にいて、神の民となる資格がない者でしたが、キリストによってあわれみを受け、神の聖なる民とされました。(10)
  私たちが暗闇から「驚くべきみ光」(9)に招き入れられたのは、それを成して下さったイエス・キリストのみわざを語り伝えるためです。神の民でなかった者が神の民とされたのは、この神の恵みを宣べ伝えるためです。

結 論) 「世の光」としてこの地上に来て下さったイエス様を信じ、従う者は「命の光」が与えられています。
  「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう。」        (ヨハネによる福音書8章12節 p.151)
そして、主イエスから光をいただいた私たちもそれぞれの所で「世の光」とされているのです。
  ペテロはこの章で語るための言葉や語り方を教えません。むしろ、神の民にふさわしい生き方を説きます。口で語る  前に、生活そのものを通して、証しすることが求められています。
  主イエスから愛と力をいただいて、「立派な行い」(12)をする者とさせていただきましょう。
  私たちにできることは小さなこと、わずかなことかもしれませんが、人々に仕えて歩まれたイエス様を模範とし、私たちも主と人々に仕える者、とりなし祈る者として、歩ませていただきましょう。(21)