詩篇103篇1~22節

 わがたましいよ、主をほめよ。わがうちなるすべてのものよ、その聖なるみ名をほめよ。わがたましいよ、主をほめよ。 そのすべてのめぐみを心にとめよ。       詩篇103篇1-2節 (p.838)

序 論)詩篇103篇は、「ダビデの歌」と表題がついて います。もともとダビデがこの歌の原型を作り、それが 歌い継がれる中でより整えられ、今の形になったのでは と言われています。「全詩篇中最も美しい賛美の詩」とも言われています。 この詩篇を通して示されることは…

1. 神の恵みを心にとめる
  詩人は、この詩篇の最初と最後に「わがたましいよ、主をほめよ」と三度(1、2、22)繰り返して歌います。聖霊に導かれた詩人が心から神様を賛美するようにと呼び掛けます。 そしてすべての恵みを「心にとめよ」と歌います。「心にとめる」は、神様の恵みを一日一日、覚えながら歩むことです。
  ここでの「不義」や「病」は人間の「罪」を象徴する言葉です。(3)罪から解放されること、罪が赦されること、これは人間の力では出来ません。しかし、神様が私たちに与えて下さった御子イエス様が罪の赦しの道を開いて下さいました。私たちの罪からの解放、それは、イエス様の十字架の死によって成されたのです。
「墓」(4)の原語は「穴」(新改訳)とも訳される言葉です。
 ある英訳聖書(KJV)は「破滅」と訳しています。罪により  もたらされた霊的死(神様との交わりが失われている)の状 態) からイエス様は、私たちをあがない出し、復活によって永遠の命に生かして下さいました。
  さらに、神様は、私たちの求め、願いに応え、良きもので満たして下さいます。(5) 「わしのように新たになる。」(5) 猛禽類(もうきんる  い)の鷲(わし)は、体も大きく、力強く、高く飛翔することができます。体の小さな鳥よりも長命です。神様からの命  と力が、鷲(わし)の生命力にたとえられています。
  私たちは神の恵みによって、新たな力をいただくことができるのです。
  「しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。」 (イザヤ書40章31節 p.998)   

2.神様の恵みとあわれみ
  5節までは、個人的な救いの体験、恵みの証しが記されていますが、6~12節は、イスラエル民族の恵みの証しが歌われています。神様はイスラエルの歴史を通して正義と公正を示されました。出エジプトやバビロン捕囚からの解放は、神様が成された救いのみわざです。
  モーセは出エジプトの後、進むべき道を神様に尋ねます。 (出エジプト記33章13節 p.124) それは、モーセがシナイ山に登っていた留守中、偶像礼拝に陥ってしまった民を神様が見離そうとされた時でした。神様はモーセのとりなしの祈りに応えられて、民を見捨てることをなさらず、カナンへの道を示し続けられました。(7)
  「東が西から遠いように」(12)は、神様がなさる罪の赦しは完全なものであることを示しています。 人の一生も草のようにはかなく、その栄えは野の花のように短いものです。(15)しかし、神様のあわれみは永遠であり、神様は私たちの命を輝かせて下さいます。 神様が顧みて下さる人は、主の愛に満ちた契約(アブラハムとの契約 創世記12章1~3節 p.13)を深く心で味わい、昼も夜も黙想し、心に留めて行う人です(18)。
  神様がアブラハムに約束されたことは、イエス・キリストを通して、神様の恵みが全人類に与えられること、主イエスを信じる信仰によって、罪赦される恵みです。      (ガラテヤ人への手紙3章13~14節 p.296)
  最後に19節~22節まで、「主をほめまつれ」との賛美が繰り返されています。その勧めは「わがたましい」  から広げられ、主の使いたち、すべての被造物にまで向い  ます。

結 論) 神様はあわれみに富み、恵み深いお方です。(8~ 9) 神様の最大の恵みは、イエス・キリストの十字架と復活によって示されました。 私たちの罪が赦され、死から命へ移されました。それは主 が共にいてくださるということです。これがこれからも変 わらず一番に感謝すべき恵みです。 一日一日、神様の恵みを心に留めつつ、歩みましょう。 感謝の祈り、賛美をささげながら、新しい年のために祈り、備え、新しい恵みを待ち望みましょう。