ヨハネによる福音書3章16~21節

神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。 神が御子を世につかわされたの
は、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。
ヨハネ3章16-17節 (p.139)                 

序 論)イエス様とニコデモとの対話(1-15)を記した後、ヨハネ福音書は「福音の要約」と言われる言葉を語ります。(16節)そして、救いについて記します。今回の箇所を通して示されることは…

1. 神は、世を愛された
  神様の愛の対象は「この世」(16)です。「この世」とは  神の選民であるイスラエルの民、時代も民族も超えたすべ  ての人のことです。
  では「この世」は、神様に愛されるだけの価値があったでしょうか。まったくありませんでした。なぜなら、神を知らず、むしろ神を否定し、無視し、背を向け、信じない  世界が「この世」だからです。神を否定し、信じない人間は、神の代わりに、被造物(神様が造られた天体や動物、人  間等)や像(人間が作った物)を崇める者となりました。その結果、自己中心となり、具体的な罪を犯す者となりました。 (マルコによる福音書7章20~23節 p.62)  (ローマ人への手紙1章28~32節 p.234)
それゆえ「この世」は、「罪の世」であり、「汚れた世」 です。それにもかかわらず、神様は「この世」を愛してくださったのです。ここに無条件の愛があります。人間の愛は「もし…ならば」、「…だから」の条件つきの愛です。しかし、神の愛は、「…にもかかわらず」の無条件で絶対的な愛です。ですから、この神の愛の対象から漏れる人は一人もいません。
  神様は無条件の絶対的な愛で、「この世」を愛されたのです。それは、人が神から離れていても、神に敵対する者であっても、変わることなく愛される愛です。

 2.御子を信じる者は永遠の命を得る
  さらに驚くべきことは、「神はそのひとり子を賜ったほどに」(16)世を愛してくださったのです。「賜(たまわ)る」は「与える」という意味ですが、原語では、「明け渡す (引き渡す)」という意味が含まれています。
  神様はひとり子を引き渡された(犠牲にされた、お見捨てになった)ほどに、この世を愛してくださったのです。父なる神様は、ご自分の愛の対象、喜びの源である「ひとり子」、イエス様を犠牲にされるほど、「世」(私たち一人ひとり)を愛されました。
  神様がひとり子をお捨てになった犠牲とは、イエス・キリストの十字架のことです。神様は、一つの罪も少しの汚れもないお方、捨てられる理由の全くないひとり子イエス様を十字架の死に渡されるほどにこの世を愛されたのです。
  神様はなぜ、それほどのことをされたのでしょうか。
  一つは、永遠の滅びからの救いのためです。永遠の滅びとは、神様との交わりのない世界に置かれたまままでいることです。それは、愛、慰め、光が届かない所です。   
  もう一つは、永遠の命を与えるためです。永遠の命とは神様との交わり、イエス様との交わりの中で生かされることです。地上の生涯の終わりにある死を超えて、永遠の命に生かされるのです。
  私たちが罪から救われ、永遠の命を得るために必要なことは、悔い改めと信仰です。悔い改めとは、神様に心を向け、自分が罪ある者であること、心の罪、言葉の罪、行いの過ちも、正直に認めて神様に告白することです。
  「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。」 
    (ヨハネの第一の手紙1章9節 p.376)
  そして、本当なら私たちが受けるべき罪の罰をイエス・キリストが身代わりとして十字架で受けてくださったこと、死んで三日後に復活されたことを信じることです。
  「すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。 なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。」 (ローマ人への手紙10章9-10節 p.246)

結 論) 神様の愛のゆえに、キリストによって世界のすべ ての人々に救いの扉が開かれています。すなわち、救いの 恵みは世界のすべての人々のために備えられています。それゆえ、この世のどんな人でも、キリストを信じ受け入れるなら救われるのです。 クリスマスは、父なる神様が、ひとり子イエス様を、私たちに与えて下さったことを喜び、感謝するときです。クリスマスを共にお祝いしましょう。そして、すべての人が、イエス様を信じ、心に受け入れることができるよう、祈りましょう。