「…幼な子よ、あなたは、いと高き者の預言者と呼ばれるであろう。主のみまえに先立って行き、その道を備え、 罪のゆるしによる救をその民に知らせるのであるから。 これはわたしたちの神のあわれみ深いみこころによる。」
ルカ1章76-78a節 (p.85)
序 論)長い間の祈りが聞かれ、祭司ザカリヤとエリサベツの間に子どもが生まれました。子どもはヨハネと名付けられました(60、63)。口が開かれたザカリヤは神様をほめたたえ、周りの人たちも神様をあがめました。そして聖霊に満たされて預言をします(67)。ザカリヤの賛歌を通して示されることは…
1. 救い主が立てられる
「預言」はここでは、聖霊(神の霊)によって言葉を与えられ、主なる神様のご計画とみこころを告げ、神を賛美することです。ザカリヤが神様を賛えたのは、神様がイスラエルの民を顧みて下さったからです(68)。彼は、出エジプトの出来事に現わされた神様の救いの歴史を回顧します。そして、今このとき、イスラエルを救おうとしておられる神様を賛美します。
「救いの角」(69)の「角」は力の象徴です。 (申命記33章17節参照) この言葉はメシヤ(救い主)を示しています。神様は救い主をダビデ王の子孫から生まれさせると約束して下さったのです。(69) 神様は「父祖アブラハムにお立てになった誓い」(73) をおぼえて(原語では「お忘れにならず」)いて下さいました。イスラエルの民は何度も神様に背き、裏切ったのに、神様はアブラハムに約束された通り救い主を送られ、イスラエルの民を救われるのです。
さらに神様は救い主を通して、私たちを生涯、神に仕える者として下さいます。主は私たちが心から神様を礼拝し、神様が喜ばれる生き方ができるように、私たちを変えて下さるお方です。
2.洗礼者ヨハネ(バプテスマのヨハネ)の働き
救い主のことを預言したザカリヤは、続いて生まれた自分の息子ヨハネに「幼な子よ」と呼びかけます。(76) そして、ヨハネのことを預言しました。
ヨハネは後にバプテスマのヨハネと呼ばれます。救い主イエス様が来られる前に、悔い改めと罪のゆるしを教え、洗礼をほどこします。
ヨハネは、救い主をお迎えするための大切な備えをする人として選ばれたのです。(76-77) その頃のイスラエルの人たちは「自分たちは神様に選ばれた特別な民であるから、このままで救われるのだ」と思っていました。
しかし、ヨハネはだれでも悔い改めて、罪のゆるしをいただかなければ本当の救いがないということをはっきりと教えたのです。
救い主が来られること、ヨハネがその準備をすることは、「神のあわれみ深いみこころ」(原語の直訳は「あわれみのはらわた(内臓)」(78)によります。
「罪のゆるしによる救い」は、後に「神の深いあわれみ」(77)の現れであるイエス様の十字架と復活によってなされました。救い主が来られることもヨハネがその備えをすることも、その根源には神様の深いあわれみがあるのです。
当時、ローマ帝国の支配下にあり、神様を信じて生きることも難しく、暗闇の中にいるようなイスラエルの民でした。しかし、神様が「日の光」(78)である、救い主によって、光を照らしてくださいました。そして私たちを罪の暗闇から光に移して下さったのです。救い主イエス様と共に生きるとき、私たちは本当の平和に導かれるのです。(79)
結 論) ザカリヤが預言し、バプテスマのヨハネを通して キリストが証しされ、指し示されました。イエス様は私た ちの救い主です。このお方以外に救い主はおられません。 イエス様は約2000年前にこの地上に来てくださり、十字架にかかり、復活され、私たちを救ってくださいました。
私たちは罪のゆるしの恵みをいただいただけでなく、もう一度来られるこの地にイエス様にお出会いできる日を待ち望みつつ、神様を礼拝し、仕える生活、きよく正しい歩みを続けさせていただきましょう。