列王紀下6章8~23節

エリシャは言った、「恐れることはない。われわれと共にいる者は彼らと共にいる者よりも多いのだから。」そしてエリシャが祈って「主よ、どうぞ、彼の目を開いて見させてください」と言うと、主はその若者の目を開かれたので、彼が見ると、火の馬と火の戦車が山に満ちてエリシャのまわりにあった。 
  列王記下6章16-17節 (p.528)

序 論)今から2800年ほど前、イスラエルの国とアラムの国が戦っていました。アラムの王は家来といっしょに攻撃の作戦を立てますが、それらはすべてイスラエルに見破られていました。それは、神様がその計画を預言者エリシャに告げておられたからです。王はエリシャを捕まえるためにドタンという所に軍隊を送ります。神様が成されたこ ととエリシャが語ったことは…

1. 神様が守って下さった
   エリシャの召使いが朝早く起きて外に出ると、町がものすごい数の敵に包囲されていました。彼は恐れてエリシャに言います。「ああ、わが主よ、わたしたちはどうしましょうか。」(15) それに対するエリシャの答えと行動は思いもよらないものでした。(16-17)
人の目には見えない神様の軍隊がエリシャたちを守っていたのです。 若い召使いは目の前にアラムの軍勢に勝る主の軍勢を見たのです。肉体の目にはアラムの軍勢しか見えず、恐れてただおびえるだけでした。しかし、エリシャは霊の目で主の軍隊を見ていたので、平然としていました。そして神様に力強く祈り始めました(18)。
  主に目をくらまされたアラムの軍勢は、イスラエルの首都であるサマリヤへと連れていかれました。(19)
私たちも、問題、苦しみ、恐れなど否定的なことが起こると、それしか見えなくなる時があります。神様に心を向けないと、神様の御守りも、愛も、支えも分からなくなり、神様に見捨てられてしまったのではないかとさえ思ってしまうことがあります。
  そんな時こそ、「神様、私の霊の目を、信仰の目を開いて見えるようにして下さい」と祈りましょう。私たちを愛し、守り、支えて下さる神様を信じる信仰によって、私たちの心のうちに平安が少しずつ広がっていきます。そして、解決への導きが与えられるのです。

2.平和な解決
  エリシャが再び、「神様、アラム軍の目を開き、見えるようにしてください」と祈ると、アラムの兵隊たちは再び見えるようになりました。なんとそこは、イスラエルの都でした。(20) そして、目の前にはイスラエルの王がいました。
  驚き、あわてるアラム軍の兵隊たちを前にして、イスラエルの王は大喜びでエリシャに言いました。「先生、彼らを倒してしまいましょうか。」
  しかし、エリシャは首を振りました。「いいえ、殺してはなりません。むしろ十分に食事を与えて、アラムの王のもとに帰すのです。」 そこでイスラエルの王は、アラム軍の人たちを盛大にもてなしてから、アラムの国に帰しました。(22-23)
  その後、アラム軍はイスラエルに攻めてこなくなりました。エリシャは賢い方法で戦いをやめさせ、平和をもたらしたのです。  

結 論) 預言者エリシャは、神様がイスラエルの人たちだけでなく、他の国の人たちをも愛され、あわれんでおられることを示すために、奇跡のわざを行いました。その奇跡も神様の御力によるものなのです。
 私たちは、自分たちだけの益になるような奇跡を求めることが多いものです。しかし、神様は、時には敵のためにも奇跡を行われます。
 イエス様は、ご自身がそうなさったように私たちも「敵を愛し、迫害する者ために祈る」ことを願っておられるのです。(マタイによる福音書6章44節 p.6)
 いつも私たちの味方になって下さる神様、励まし、力を与えて下さるイエス様に信頼し、祈りながら歩みましょう。
「これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」      (ヨハネによる福音書16章33節 p.169)