使徒行伝7章17~34節

…すると、主が彼に言われた、『あなたの足から、くつを脱ぎなさい。あなたの立っているこの場所は、聖なる地である。 わたしは、エジプトにいるわたしの民が虐待されている有様を確かに見とどけ、その苦悩のうめき声を聞いたので、彼らを救い出すために下ってきたのである。さあ、今あなたをエジプトにつかわそう。』… 
   使徒行伝7章33-34節 (p.191)

序 論)ステパノは、宗教議会(サンヘドリン)で、アブラハムの生涯とヨセフの歩み、ヤコブの家族がエジプトに移住 するようになったことを語りました(2-16)。今回の箇所では、モーセの時代に神の約束(7)が現実となっていくことを語ります(17)。モーセの歩みを通して示されることは…

1. 神様がモーセを用いられた
   エジプト王パロ(ファラオ)は、イスラエルの民に男の子が生まれたらナイル川に投げ込めと命じていました。その頃、生まれたモーセは、家族の知恵と助けによって、パロ  の娘(エジプトの王女)(22)に拾われました。そして、王女の子として、エジプト人の最高の教育を受けて育ったのです。(18-22)(出エジプト記1章1節~2章10節 p.74)
  40歳になったとき、モーセは自分の同胞であり、奴隷として苦しめられているイスラエルの人々を救おうと決意します。そして、エジプト人を殺したのです。(23-24) しかし、イスラエルの民には受け入れられずモーセは挫折してしまいました。そして、彼は40年間、同胞たちから離れ、エジプトからも逃れて、異邦人の地ミデアンの荒野で暮らしました(29)。(出エジプト記2章15~22節 p.76) 「自分の手を通して…」(25)とあるようにモーセは自分の手、自分の情熱、力、決心によってイスラエルの民の救いを成そうとしていたときには彼は挫折したのです。 後にそのような彼を立て、イスラエルの民の指導者、解放者としてお立てになったのは主なる神様ご自身でした。
「御使いの手によって…」(35)とあるように神様の御手によってこそ、モーセは立てられ、遣わされて大きな働きをすることができたのです。

2.神様がイスラエルの民を救い出された
  モーセが、80歳のなった時、シナイ山近くの荒野で、燃える柴の炎の中から、天使が彼に現れました。そして主なる神様の御声が聞こえました。(30-32)
アブラハムに約束を与え、彼の旅路を導き、またヨセフと共におられた主なる神様が、今、モーセに御声をかけられたのです。
  この時、神様は、奴隷として苦しめられているイスラエルの民を救うためにモーセを遣わそうとしておられました(34)。(出エジプト記2章23~24節、3章7~9節p.76)
  主なる神様のこの御心によって立てられ、遣わされていったのがモーセの80歳からの40年間でした。
  出エジプトの指導者モーセの素晴らしい働きは、自分の力によるものではなく、彼を立て、お遣わしになった神様の御力によることでした。モーセは神様の御力により頼みながら歩み続けました。
  出エジプトによってイスラエルの民をカナンの地に導かれた神様は、アブラハムとの約束(7)を実現して下さいました。
  神様は、イスラエルの民の苦しみを見、彼らの苦悩のうめき声を聞かれ、彼らを救い出すために地に下ってこられました(34)。そして、モーセをエジプトに遣わされたのです。
  そして、モーセの時代から約1500年後、神ご自身が私たちを救うために人となって地上に来て下さいました。それがイエス・キリストです。
  「モーセを冒涜している」(6章11節)と断罪されたステパノは説教の中で、モーセを証しし、モーセの生涯とイエス様を重ね合わせ、主イエスが神の御子、救い主であることを証ししました。
  モーセが人々から「だれが、君をわれわれの支配者や裁判人にしたのか」(27)と拒絶されたように、イエス様も、人々に拒絶され、十字架にかけられました。しかし、神様がそのモーセを立て、出エジプトの指導者としてお用いになったように、父なる神様はイエス様を復活させられ、私たちの救い主として立てられました。

結 論) 神様がイスラエルの人々の苦しみをすべてご存じだったように、私たちの苦しみを知り、嘆きを聞かれ、今も助けの御手を伸べて下さっています。そして私たちがイエス様とお出会いし、信じる者となるように働きかけ続けて下さっています。
 モーセが神様とお出会いし、礼拝した場所を神様は「聖なる地」(33)とされました。  私たちのために「低きに下られた神」、イエス様による救いにあずかった私たちが、主を礼拝し、神様に祈り、賛美する場所を神様は聖なる地として下さっています。
 主イエスを信じ、神様を礼拝し、賛美しつつ、それぞれに与えられた信仰生涯を全うさせていただきましょう。