使徒行伝6章8~15節

さて、ステパノは恵みと力とに満ちて、民衆の中で、めざましい奇跡としるしとを行っていた。…彼は知恵と御霊とで語っていたので、それに対抗できなかった。 
 使徒6章8、10節(p.189)

序 論)
    エルサレムの教会で起こった問題を解決するために使徒たちがしたのは、「御霊と知恵とに満ちた、評判の よい人たち七人」(3)を選び出すことでした。選ばれた七人 のうちの一人ステパノは、不思議なわざを行い、知恵と御霊によって語る優れた人でした(8,10)。彼が逮捕されることになったいきさつと彼の言動から示されることは…

1.神様の力、聖霊の働きにより 
  ステパノは「恵みと力に満ちた」人(8)であり、「知恵と  御霊(聖霊)とで語り」ました(10)。そして、「信仰と聖霊とに満ちた人」(5)でした。
  彼の力も知恵も信仰も、全ては聖霊のお働きによって、神様から与えられたものです。彼は神様の力、聖霊の働きを熱心に祈り求めたことでしょう。彼の素晴らしい働きはそれらによるものでした。 ステパノは力強く伝道の働きを進めていきました。しかし、そこに敵対する者たちが現れました。彼らは、議論をしても彼を論破することはできませんでした。(10)それで、人々を唆(そそのか)し、またユダヤ人の指導者たちをも扇動して、ステパノを訴え、逮捕させたのです(12)。
  ステパノに敵対した人たちは皆、外地出身のユダヤ人でした。(9) 「『リベルテン』の会堂に属する人々」(9)は「解放されたユダヤ人奴隷の会堂」に属していた人たちのことです。彼らは、いろいろな事情でこのとき外地からユダヤ、エルサレムに戻って住んでおり、自分たちの会堂を持っていました。そしてユダヤ教の伝統を重んじたのです。   ステパノは、自分の仲間であるヘレニスト(ギリシャ語を  話す)ユダヤ人たちに熱心に伝道しました。その結果、彼らの怒りを買い、訴えられたのです。

2.神の約束を信じ、主イエスを見つめて
  敵対者たちはなぜ、ステパノに対してそんなに怒ったのでしょう。
  彼らは、彼が「モーセと神」を冒涜(ぼうとく)したと言います。ここでの「モーセ」はモーセの「律法」のことです。「この聖所」(13)とは神殿のことであり、「モーセがわたしたちに伝えた慣例」(14)は律法に基づく神殿の祭儀のことです。彼らがステパノを訴えたのは、律法と神殿を冒涜しているという理由でした。
  彼らは、ユダヤ人が神の民であることのしるし、保証は律法と神殿にこそある、と考えていました。それに対してステパノは、律法や神殿ではなく、イエス・キリストによる救いを語り、主イエスによってこそ真の神の民となることができる、と語りました。そのことが彼らの怒りを買ったのです。
  捕らえられ、裁判にかけられ、死刑になるかもしれない状況の中で、ステパノの顔は、天使の顔のように輝いて見えました(15)。
  「天使の顔」とは、神様への信頼による喜びと平安に満ちた顔ということでしょう。天使は神のみもとで、いつも神様のみ顔を仰いでいます。
  「…彼らの御使たちは天にあって、天にいますわたしの父のみ顔をいつも仰いでいるのである.。」     (マタイによる福音書18章10節 p.29)
ステパノがこの危機的な状況の中でそのような輝いた顔でいることができたのは、彼が、イエス・キリストによって与えられた神様の約束を信じ、ひたすら主イエスを仰ぎ聖霊の力と励ましをいただいていたからでした。
  何を見つめ、何に心を向けて生きるかによって私たちの  顔は変わってきます。イエス・キリストによって神様が与えて下さる約束を信じ、主イエスを仰ぎ見つつ歩みましょう。主によって私たちの顔もまた、喜びと平安によって輝くのです。

結 論)
使徒行伝の5章までは12使徒の働きを中心に語られてきましたが、この6章からは、ステパノ、ピリポ、パウロたちの働きを中心にして語られていきます。
 そして、「エルサレム」から「ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで」(使徒1章8節 p.180)福音が宣べ伝えられるようになります。聖霊が彼らを用いられ、宣教の働きを進めていかれるのです。
 6章前半(1~7節)に告げられているように新たに奉仕者として立てられたステパノたち七人が日々の分配の奉仕をしっかり果たしたことにより、使徒たちは、祈りとみ言葉の奉仕に専念することができました。教会はますますみ言葉に堅く立ち、そこから命をいただいて生かされ、その結果として、連なる人々の証し、伝道の力が強められていったのです。ステパノも、この後に出てくるピリポ(8章26~40節)も、そのようにして伝道の働きも与えられていきました。
 私たちの力がたとえ小さな貧しいものであってもステパ ノやピリポにならい、み言葉によって生かされ、聖霊のお働きを祈り求め、神様の恵みと力をいただいて奉仕させていただき、伝道してまいりましょう。そこに神様ご自身が働いて下さり、ご栄光を現し、教会を建て上げて下さるのです。