使徒たちは主イエスの復活について、非常に力強くあかしをした。そして大きなめぐみが、彼ら一同に注がれた。 …そこで、ペテロが言った、「アナニヤよ、どうしてあなたは、自分の心をサタンに奪われて、聖霊を欺き、地所の代金をごまかしたのか。・・・」
使徒4章33節(p.186)、5章3節 (p.187)
序 論)ペテロとヨハネが戻った教会で、共に祈りがささげられました。一同は聖霊に満たされてみ言葉を語りだしました。(使徒4章24-31節) 今回の箇所の前半では、当時の教会の生き生きとした姿が語られています。後半は、アナニヤとサッピラに起こった出来事が告げられています。私たちに示されることは…
1.主の恵みに応答してささげた
「信じた者の群れは、心を一つにし思いを一つにして」 (32)とあるように、彼らは持ち物を共有する前に、まず心と思いが共有されていました。それは主の恵みに共にあずかることでもありました。
使徒たちは主の復活を力強く証ししました。(33)
経済的に豊かな人々は、自分たちの財産をもってきて、 他の兄弟たちの必要に応じて分配していました。(34-35)。
後に使徒として大きな働きをするバルナバは自分の畑を売った代金を教会に献げました(36-37)。(「クプロ」は 現代の「キプロス島」。レビ人であるため、エルサレム近辺に土地を得る資格があったのだろうと言われている。)
彼らがこのように献げたのは「大きなめぐみが、彼ら 一同に注がれた」(33)からです。彼らは主イエスの大きな 恵みに応答して献げました。
私たちも、主の恵みとご愛に応答して、それぞれが出来る限り、奉仕し、献げさせていただきましょう。
2.聖霊によって欺きの罪を示された
アナニヤとサッピラも、自分たちの土地を売りその代金を使徒たちのもとに持って来て献げました。しかし、それは代金の一部でした。彼らはそれを、土地を売った代金の全部だと偽って、残りの分を自分たちのものとしました。 (5章1-2節)
彼らはなぜ、そのようなことをしたのでしょう。バルナバが畑を売った代金の全額を献金し、それが評判になったのを見て、自分たちも同じ名声を得ようとしたのかもしれません。
聖霊によって彼らの罪を示されたペテロはアナニヤの罪を指摘します(3-4)。3、4節の直訳は「なぜ、サタンがあなたの心を満たしたのか。聖霊を欺き、代金をごまかすことによって…」(3)「…どうして、あなたの心をそこに置いたのか…」(4)となります。ぺテロは彼に「あなたの心」の問題であることを指摘したのです。
ペテロがこう言うやいなや、アナニヤは直ちに倒れました(5)。それから3時間後に同じ場所に来た妻のサッピラに向かってペテロが語ります(9)。この言葉の通り、彼女も倒れ、息絶えてしまいました。(10)
彼らは、サタンに心を奪われ、人間を欺いただけのつもりであっても、神様を欺いてしまっていたのです。そして聖霊を試みてしまいました(9)。聖書ではこのことを罪と言っています。私たちの内にもこの罪があるのです。
私たちは神の前に罪ある者であり、罪を犯す者です。しかし、イエス・キリストが私たちのために十字架にかかって下さり私たちの罪を身代わりに背負って下さいました。それによって私たちの罪の赦しがなされたのです。
この赦しがあるから、私たちは神様を欺かない生き方が できます。神を欺かない生き方とは、罪を犯さない生き方ではありません。自分の罪を認めることです。「私は罪人 です。罪を犯してしまう者です。主イエスによる神様の赦しがなければ生きていけない者です。」と正直に日々、神様の前に告白することが、神を欺かない生き方、神様と向かい合う生き方に導かれていきます。
これらの出来事の後、教会全体に恐れが生じました(11)。 この箇所に使徒行伝では初めて「教会」という言葉が出てきます。この教会に本当に神様が生きて働きかけておられるという恐れでした。
結 論)彼らの罪を指摘したペテロ自身も主イエスの赦しとご愛に支えられていました。イエス様のことを知らないと言って主を裏切り、罪を犯してしまったペテロが新たに立ち上がることができたのは主イエスによって赦されたからです。
イエス様は、十字架の上で裏切ったユダの罪をもアナニヤとサッピラの罪をも背負って下さいました。
私たちにとって確かなことはイエス様の十字架と復活によって今、罪の赦しが与えられていることです。そして、悔い改めることができるのも神様の恵みなのです。
主イエスを信じ、罪赦され、聖霊に導かれて生きるかどうか、一人ひとりに問われています。
私たちにも外側からそして内側からの様々な試みや誘惑がありますが、神様と向き合い、罪と死と悪魔(サタン)に勝利してくださった主イエスの恵みと聖霊の力に支えられて歩んでいきましょう。