使徒行伝4章13~31節

「…主よ、いま、彼らの脅迫に目をとめ、僕たちに、思い切って大胆に御言葉を語らせて下さい。 そしてみ手を伸ばしていやしをなし、聖なる僕イエスの名によって、しるしと奇跡とを行わせて下さい」。 彼らが祈り終えると、その集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされて、大胆に神の言を語り出した。 
 使徒4章29-31節 (p.186)

序 論)
   ペテロとヨハネは宮(神殿)の権威者たちの開いた宗教議会に引き出されます。ペテロはその場で、イエス様こそ救い主(キリスト)であることを証ししました。さらに語ったことと、後に教会の人たちが心を合わせ祈ったことは…

1.神の前に正しいかどうか
  ペテロとヨハネは権威者から見ると「無学な、ただの人たち」(13)でした。それはここでは、聖書に関して専門的な教育を受けていない人たち、という意味です。
  しかし、二人は主イエスの御名を信じる者に与えられる聖霊の力によって、権威をもって大胆に語ったのです。
  さらに二人によっていやされた男の人がその場にいました。ですから彼らは二人をどんな罪にも定めることもできませんでした(14)。そこでただおどすだけで二人を釈放せざるを得ませんでした。
  議会は「イエスの名によって」(18)語ることも教えることも禁じました。しかし、ペテロたちにとっては、人に聞き従うよりも「神に従うこと」が万事に優先したのです。
  そして、「神の前に正しいかどうか」(19)が彼らの判断基準であり、彼らの物事を見る視点でした。それによって彼らは恐れることなく、大胆に語ることができたのです。   
  彼らは、ただ「自分の見たこと、聞いたこと」(20)を語るだけでした。彼らは、神様がイエス様を通して成された救いのみわざを見、イエス様の言葉を聞き、それを聖霊の力によって語りました。
  私たちも今、イエス様の御名を信じ、イエス様と共に生きている者たちなのです。

2.大胆にみ言葉を語ることができるように
  釈放されたペテロとヨハネは、事の次第を信徒の「仲間の者たち」に報告しました(23)。
  彼らはペテロたちの報告を聞き、心を合わせて祈ります。まず、全世界を創造され、支配しておられる神様に呼びかけます(24)。
  そして、詩篇2篇1-2節を引用します。(25-26) (旧約聖書p.750)
  この世の権威は「騒ぎたち」、「むなしいことを図り」、  神様とキリストに逆らいました。
  ヘロデとポンテオ・ピラト、異邦人とイスラエルの民は  本来は敵対していたのに、ただ神様に反抗する目的だけで  一致したのでした。(27) その結果、救い主イエス様は苦難を受けられ十字架にかかられました。
  しかし、父なる神様はイエス様を復活させられました。  そして、ご自身の右の座に着かせられ真の王とされました。  人が悪い事を企んでも、神様はそれを良きに変えらせて  すべての人のための救いのみわざとして下さったのです (28)。
 今、同じ権威が、使徒たちと教会を苦しめていました。  しかし、神様の御支配とキリストの勝利を信じるキリスト者たちは揺るぎません。
 彼らは、大胆にみ言葉を語り、主イエスの名によってみわざを行わせて下さい、と祈ります(29-30)。
彼らが祈り終わると、その場所が揺れ動き、ペンテコステの日に起こった出来事と同じように聖霊に満たされて、  大胆にみ言葉を語りだしました。(31) (使徒行伝2章4節 p.181)

結 論)
  教会は、イエス様を信じ、イエス様と共に生きる者たちの集まりです。そして主イエスの名によって父なる神様を礼拝し、互いに祈り合う者たちの集まりです。
 私たちは、今、旧約聖書、新約聖書が与えられていて、いつでも、どこでも神の言葉を読み、黙想し、祈り、語ることができます。
 今、すべての人たちに聖霊が注がれ続けています。聖霊の力をいただいて、大胆にみ言葉を語り、イエス様の成された救いのみわざ、福音を証ししてまいりましょう。

(参照聖句) 「神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、わが魂もあなたを慕いあえぐ。わが魂はかわいているように神を慕い、 いける神を慕う。いつ、わたしは行って神のみ顔を見る ことができるだろうか。」      (詩篇42篇1~2節 p.784)

 「わたしは一つの事を主に願った、わたしはそれを求める。 わたしの生きるかぎり、
主の家に住んで、主のうるわしき を見、その宮で尋ねきわめることを。」  
                    (詩篇27篇4節 p.769)