使徒行伝2章1~13節

五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、 突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。 また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。 すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。        使徒2章1-4節 (p.181)

序 論)
   イエス様が昇天された後、弟子たちは10日間、 心を合わせて、祈り続けました(1章14節)。そして、五旬節(ペンテコステ)の日を迎えます(1)。この日に起こった 出来事は…
1.聖霊に満たされた
  五旬節(ギリシヤ語ではペンテコステ)は過越祭から50日目に行われる収穫の祝いのときです。「日がきて」(1)は原文では「日が満ちる」という意味の言葉が使われています。
  イエス様が言われた「父の約束」(1章4節)が、すべての時が満ちて、ついに実現するとき、聖霊がくだるときが来たのです。
  弟子たちが集まっているときに、突然、激しい風が吹いてきたような音が家全体に響き渡ったのです(2)。
  風は、旧約聖書では「神のいぶき(息吹)」と訳されている箇所もありますが、神の顕現を表しています。  (サムエル記下22章16節 p.468 ヨブ記37章10節 p.741 エゼキエル書13章13節 p.1164)
  ここでの「激しい風」(2)は、神が霊として臨在されたことのしるしでした。 そして、舌のようなものが、炎のように分かれて弟子たちの上にあらわれました(3)。新改訳聖書では「炎のように分かれた舌」と訳されています。「分かれた舌」は一人一人に聖霊が分与され、しかもすべてが一つの御霊であることを示しています。
  聖霊で満たされた弟子たちは、自分たちが知らなかった他国の言葉で、「神の大きな働き」(11)を述べ始めました。  (ギリシヤ語では「舌」と「言葉」は同じ言葉が使われている) その言葉の内容は「主なるイスラエルの神は、ほむべきかな。神はその民を顧みてこれをあがない、わたしたちのために救の角を僕ダビデの家にお立てになった。」 (ルカによる福音書1章68-69節 p.84)  と洗礼者ヨハネの父ザカリヤが賛美したように、神様を賛美する言葉だったことでしょう。
  私たちも聖霊に満たされるとき、主の御名を賛美する心が与えられます。

2.巡礼者たちの驚き
  その頃、エルサレムには祭りを祝うために色々な国から  信仰深いユダヤ人たちが集まってきていました(5)。
  そこで、弟子たち(ガリラヤ人)が巡礼者たちの故郷の言葉で語るのを聞いて彼らは驚き、怪しみます(7)。
  彼らが話す中で挙げた地名や国名(9~11節)は、ユダヤ周辺の地方や、遠く離れた地方の名前や国名でした。
  ここでの「改宗者」(11)は、異邦人であっても、ユダヤ教に改宗した人々のことです。
  彼らには、弟子たちの様子を見て、あざ笑い、「あの人たちは新しい酒に酔っているのだ」(13)と言いました。
  しかし、彼らは、酒に酔っていたのではなく、聖霊に満たされていたのです。
  後にパウロはエペソ人への手紙の中で次のように命じています。 「酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとである。むしろ御霊に満たされて、 詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい。」 (エペソ5章18-19節 p.306)

結 論)
  イエス様は、弟子たちに、聖霊がくだると力が与えられ、イエス様のことを多くの人たちに伝えて行く人になると言われました。(使徒1章8節 p.180) 聖霊で満たされるまで、弟子たちの心の中に恐れや疑いがありました。でも、聖霊に満たされてからは180度変えられたのです。
 弟子のペテロもその一人でした。彼も、イエス様を裏切りました。しかし、聖霊に満たされたペテロは、力が与えられ、人を恐れないで、イエス様を伝える人に変えられました。(使徒2章14-40節等) 他の弟子たちも各地に遣わされていきました。
ペンテコステの日以降、イエス様を信じ、従う人に神様は、聖霊を注いで下さいます。  聖書の中には、聖霊の様々なお働きを告げている箇所が多くあります。聖書の告げる出来事や言葉を通して、聖霊のお働き、その恵みと力を更に知らせていただきましょう。聖霊に満たされ造り変えられて、多くの人たちにイエス様を伝えてまいりましょう。