使徒行伝1章12~26節

「…そういうわけで、主イエスがわたしたちの間にゆききされた期間中、 すなわち、ヨハネのバプテスマの時から始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日に至るまで、始終わたしたちと行動を共にした人たちのうち、だれかひとりが、わたしたちに加わって主の復活の証人にならねばならない。」       使徒1章21-22節 (p.181)

序 論)
復活されたイエス様がオリブ山から天に昇られた後、弟子たちはオリブ山を下り、エルサレムの市内に帰りました。聖霊が降る前に彼らがしたことは…

1.祈りながら待ち望んだ   
 13節は「その人たちは、ペテロ、…」と、イスカリオテのユダを除いた11人の使徒たちの名が記されています。
  イエス様の実の兄弟たちは、イエス様の復活の後に、主の弟子に加わりました(14)。 弟子たち、女性たち、母マリヤ、兄弟たちは、泊まっていた屋上の間で、聖霊を求め、神様に向かって心を合わせて、ひたすら祈り続けました。(14) 彼らは10日間、祈り続けました。   
  私たちも、「密室の祈り」と共に、礼拝、祈祷会等で、  聖霊の助けをいただき、心を合わせて祈る祈りを大切にしてまいりましょう。   
  そのころ、集まっていた120名ほどの兄弟たちに、ペテロが語ります。それは、ユダの最期の様子とユダに代わる使徒を選ぶことでした。(16-22) ユダの裏切りも神様の御計画の中でなされたことでした。(16)   20節には、詩篇69篇25節(p.807)と109篇8節 (p.181)の言葉が引用されています。  
  使徒は第一に、イエス様の公生涯の期間、共に歩んだ者でなければなりませんでした。第二に復活されたイエス様にお出会いし、その証しができる人であることでした。  (21-22)

 2.主の復活の証人として選ばれ、歩む

  候補に挙げられた二人は、使徒の条件にかなう人物でした。(23) しかし、最終的な選択は、主に委ねられました。  彼らは主に祈ります(24-25)。そして、最後にはくじで決  定し、マッテヤが選ばれました(26)。
  神様のご意志が示され、聖霊降臨の日を迎え、教会の始まりへの準備が整いました。
  イスカリオテのユダは、イエス様を裏切った罪を認め、悔い改めて、イエス様に心を向けることが最後までできませんでした。
  イエス様を裏切り、否認したペテロは復活されたイエス様にお出会いし、罪赦され、新たに立ち上がり、歩み始めることができました。今回の箇所のペテロの言葉に(15- 22)は、彼のリーダーシップが現われています。
  聖霊降臨の日の後、12使徒の一人、トマス(13)(ヨハネによる福音書20章24-29節 p.177)は、インドに宣教に行ったと伝えられています。(今もインドに「トマスの教会」があります。)  ここで使徒に選ばれたマッテヤという人は、この箇所以外には聖書のどこにも出てきません。エルサレムで殉教した、あるいはエチオピアに宣教に行ったという説があります。
  彼らのように12使徒はそれぞれ、主の復活の証人として、地上の生涯を歩み続けました。
  12使徒だけでなく、ここにいた120人の弟子たちも、  自分が「主の復活の証人」であるという自覚をもっていたことでしょう。彼らも、ユダヤの地で、世界各地で、福音を伝えていきました。 結 論)ここにいた120名の弟子たちも、後に教会に加わった人たちも主の臨在(イエス様が、私たちといつも共にいてくださること)を信じ、主の復活の証人として歩みました。  イエス様の十字架と復活による救いを信じ、聖霊を内に いただき主の再臨を待ち望んで歩んでいる私たちも、今、 主によって選ばれた主の復活の証人です。  礼拝、日々のデボーション(聖書を読み、み言葉を黙想し、 祈るときを持つこと)を守り、主のご愛の注ぎを内にいただきつつ、神様が出会わせて下さっている人たちとの関係を大切にしながら、主の復活の証人として歩み続けてまいりましょう。