「あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。 そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ。まだガリラヤにおられたとき、あなたがたにお話しになったことを思い出しなさい。 すなわち、人の子は必ず罪人らの手に渡され、十字架につけられ、そして三日目によみがえる、と仰せられたではないか。」
ルカ24章5-7節 (p.133)
序 論)
イエス様に従ってきた女性たちは、愛するイエス様の十字架の死を遠くからなすすべもなく見守りました(ルカ23章49節)。それはどれほどの悲しみ、痛みだったでしょう。アリマタヤのヨセフと共にイエス様のなきがらを 葬った彼女たちは、週の初めの日の朝、夜明け前に墓へと向かいました。そこで起こった出来事は…
1.空になった墓
女性たちは、葬られたイエス様のために、自分たちにできる精一杯のこと(用意した香料を用いて改めて正式な葬りを行う)をさせていただこうと願っていました。
しかし、墓についた彼女らは、イエス様の墓をふさいでいた石が転がされているのを見ました。墓の中には葬られたはずの主のからだが見当たりませんでした。
彼女たちは途方に暮れるしかありませんでした(4)。なぜ、墓が空(から)になってしまったのか分かりませんでした。
誰かが主のからだを運び出したのだと思ったことでしょう。
そのとき突然、輝いた衣を着た二人の者(み使い)が、女性たちの目の前に現れました。彼女たちは驚き、恐れ、地に伏せる以外にありませんでした。
み使いは語ります(5-6)。十字架で死なれたイエス様のことをみ使いは「生きた方」と呼びました。そして、「よみがえられたのだ。」と宣言しました。
「よみがえられた」(6)は原文では「よみがえらされた」とう意味の受身形になっています。天の父なる神様が、イエス様を死から復活させられたのです。「必ず」(7)という言葉に、主イエスの十字架の死と復活は、天の父なる神様の御計画とご意志によるものであることを示しています。 父なる神様の力によってイエス様は、死に打ち勝たれました。
2.復活の宣言
み使いは、女性たちに、イエス様の語っておられた言葉を 思い出しなさいと告げました。(6-7) そのことを聞くまで、彼女たちもかつてイエス様が約束しておられたことを忘れていました 。
イエス様は、ご自身の十字架の死と復活をたびたび予告 しておられました。
「見よ、わたしたちはエルサレムへ上って行くが、人の子について預言者たちがしるしたことは、すべて成就するであろう。 人の子は異邦人に引きわたされ、あざけられ、はずかしめを受け、つばきをかけられ、 また、むち打たれてから、ついに殺され、そして三日目によみがえるであろう。」(ルカ18章31-33節 p.121)
み使いの宣言を聞いた彼女たちは、イエスがご自分のよみがえりを約束しておられたことを思い出し、信じました。そして急いで弟子たちのところに行き、自分たちが聞いたことを伝えます。(8-9) しかし、使徒たちには、愚かなことにしか聞こえませんでした。(11) 弟子のペテロは、墓に確かめに行きました。 しかし、墓が空であったのは確かめましたが、そのまま自分の家に帰ってしまいます。(12)ペテロは復活されたイエス様ご自身を求めようとはしなかったのです。後に「使徒」と呼ばれることになる弟子たちでさえ、主の復活の朝はまだこのような有様でした。
この後、イエス様は40日間弟子たちを何度も訪ねて行かれ、彼らも信じました。イエス様の復活を信じ、その喜びに満たされることは、イエス様ご自身が彼らに出会って下さることによって実現しました。
後に彼らは聖霊を受けて主イエスの復活の証人となり、使徒としての使命を果たしていったのです。
結 論)
イエス様はよみがえられた! そのことは女性たちが今まで見聞きしてきたどのような奇跡よりも、大きな喜びと驚きとなりました。 よみがえりの命は、悲しみの中にある者、途方に暮れ、 恐れている者を変え、喜び、希望であふれさせます。 復活されたイエス様は今も私たち一人ひとりを訪ねて下さっています。そして、聖書の言葉を通して語りかけておられ、イエス様を信じる者と共にいて下さっています。 よみがえられたイエス様といっしょに歩み続けましょう。 いつもイエス様が喜ばれる生活ができるように、祈りつつ 励みましょう。
神様は、弟子たちのように私たちもイエス様を証して歩 むことを願っておられます。主イエスが与えて下さった喜び、希望を証してまいりましょう。主を喜び、主と共に歩む生活が、周りの人たちにもイエス様を伝えることになるのです。