ペテロは言った、「あなたの言っていることは、わたしにわからない」。すると、彼がまだ言い終らぬうちに、たちまち、鶏が鳴いた。 主は振りむいてペテロを見つめられた。そのときペテロは、「きょう、鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われた主のお言葉を思い出した。 そして外へ出て、激しく泣いた。
ルカ22章60-62節 (p.130)
序 論)
イエス様がオリーブ山のゲツセマネの園で祈られた後、イエス様を捕らえるために、ユダに導かれた祭司長 たちが近づいてきました。イエス様の御姿と弟子の姿を通して示されることは…
1.今は闇の支配のとき
イエス様はユダがご自分を裏切ろうとしていたのをご存じでした。本来は、親愛のしるしである接吻が、イエス様を引き渡すしるしとして利用されたのです。(47-48)。
弟子の一人が大祭司の手下に剣を抜いて切りかかります (49-50)。しかし、イエス様は、彼を止め、手下の耳に触れていやされました (51)。
イエス様は、押し寄せてきた群衆(祭司長たち)に語られ ます(52)。彼らが武装してきたのは彼らの恐れの表われで した。イエス様を捕らえに来た人々も、イエス様の弟子た ちも恐れに捉われていました。
そしてイエス様は、「今はあなたがたの時、また、やみの支配の時である。」(53)と言われます。今、イエス様を捕らえようとしている彼らは、恐れとその心の背後にある闇に支配されていました。そして闇は人間の心にある罪とその背後に働く悪魔の力を表す言葉でもあります。
闇の力に支配されている祭司長たちによって、イエス様は捕らえられました(54)。しかし、それは、神様の御心、ご計画の中で成されたことだったのです。そして、イエス 様は、その闇をご自分の身に引き受けて下さいました。
闇が最も深まったのは、イエス様が十字架にかかられた 時でした。主の十字架の時の出来事を福音書記者ルカはこう語ります。「時はもう昼の十二時ごろであったが、太陽は光を失い、全地は暗くなって、三時に及んだ。」 (ルカ23章44節 p.132) ここは原文では「全地に闇が生じた」という意味の言葉が使われています。
イエス様は、私たちを闇の支配、罪の支配から救い出すために神様の御心に従い私たちの受けるべき罪の罰を一身に負って十字架にかかって下さったのです。
2. 主イエスのご愛と赦し
ペテロはイエス様から遠く離れて従い、主が連行された 大祭司の家の中庭に入り込みました。人々がその真ん中に 焚火をしてその周りに座っていたので、彼もその中に紛れ込みました。(54-55)。
そのとき、イエス様の仲間であると指摘され、ペテロは「わたしはその人を知らない」、「いや、それは違う。」、「あなたの言っていることは、わたしにわからない。」 と三度、イエス様のことを知らないと言ってしまったのです。(56-60)
前に「主よ、わたしは獄にでも、また死に至るまでも、 あなたとご一緒に行く覚悟です。」(ルカ22章33節)と 豪語したはずなのに、一番大切なこの時に自分でも情けなくなる、惨めで恥ずかしい姿を見せてしまいました。
そのときイエス様は振り向いて、ペテロを見つめられました。それによって、彼は主の言葉を思い出しました(61)。 (ルカ22章34節 p.128)
そして挫折と苦悩の中で激しく泣きました(62)。
ペテロを見つめられたイエス様のまなざしは、彼を叱責するものではなく、愛と赦しのまなざしでした。
イエス様のまなざしを見て、ペテロは、イエス様が前に 語られた言葉を思い出したことでしょう。 (ルカによる福音書21章31-32節 p.128) この言葉通り、ペテロはサタンのふるいにかけられ、その試練の中で、イエス様との関係を否定し、弟子として従っていくことができなくなってしまいました。
そのような弱い、ペテロのために、彼の信仰がなくならないように、祈って下さっていました。彼に注がれるイエス様のまなざしと祈りが絶望の中にいた彼を支えました。 しかし、彼がその祈りによって立ち直ることができたのは、この時ではありません。そのためには、イエス様がまず、十字架で死なれ、三日後に復活しなければならなかったのです。イエス様は罪と死と悪魔に打ち勝たれました。
復活されたイエス様の方からもう一度彼を訪ね、招いて下さることによってこそ、彼は絶望から立ち直り、イエス様を信じ、従って行く者として新たに立つことができました。
結 論)
ペテロのように私たちは試練の中で、とても弱い者であり、自分の決意や覚悟などすぐどこかに吹き飛んでしまいます。いろいろな罪を悲しみ、悔いる者です。しかし、 そのような私たちのために、イエス様は祈って下さり、私たちとのつながりを保ち続けて下さっています。 イエス様の愛のまなざしは私たちにも注がれています。 私たちもイエス様を見(イエス様に心を向け)、神様のもとに立ち返り、祈る生活を続けてまいりましょう。