ルカによる福音書21章5~24節

 「しかし、あなたがたの髪の毛一すじでも失われることはない。あなたがたは耐え忍ぶことによって、自分の魂をかち取るであろう。」 ルカ21章18-19節(p.126)

序 論)
  エルサレムの神殿で、宗教指導者たちとの一連の問答を終え、一人のやもめが献金する姿を通してイエス様は 弟子たちに「献げる心」の大切さを教えられました。(21章3-4節) その後、人々に神殿の崩壊、弟子たちの受ける迫害、エルサレム陥落を予告されます。主イエスの言葉を通して示されることは…

本 論) 1.神殿崩壊の予告
  人々は荘厳な建築物である宮(神殿)を見て感心していました(5)。イエス様は彼に、この宮が破壊される日が来ることを語られます(6)。
それを聞いた彼らは、とても驚いたことでしょう。そしてその時の前兆を尋ねます(7)。イエス様は彼らに、にせ預言者が現われ、戦争・大地震・疫病・ききんなどが起こることを告げられたのです。(8-11)
  この時から現代に至るまで、多くのにせ預言者、にせキリストが歴史上に現れてきました。私たちも、それらの惑わしに注意しなければなりません。
そして、神殿崩壊の前に弟子たちが迫害を受けることを  語られます(12)。「会堂や獄」はユダヤ教側からの迫害、「王や総督たち」はローマ人からの迫害を示しています。しかし、イエス様はご自身が聖霊の力によって彼らにその時にふさわしい言葉を与えて下さり、証しのときとして下さると励まされました(13-15)。
  迫害や苦難があったとしても、「…しかし、あなたがたの髪の毛一すじでも失われることはない。 あなたがたは耐え忍ぶことによって、自分の魂をかち取るであろう。」(18-19)と言われます。私たちが信仰のゆえの苦しみの中にあっても、忍耐して留まり続けるなら、生きるときも死ぬときも、私たちは、すべてをご存じである神様の御手の中にあるのです。神様は、私たちを永遠の命に生かされ、どこまでも私たちを守り導いて下さっているのです。  

2. エルサレム陥落の予告
 「エルサレムが軍隊に包囲される」(20)と言われたことはこのときから約40年後、現実のこととなりました。(歴史的には「第一次ユダヤ戦争(AD66-73年)」と呼ばれる。 エルサレム神殿の崩壊はAD70年)  ユダヤ人たちとローマ軍の戦争が始まり、エルサレムが ローマ軍に包囲され、攻撃されました。  エルサレム崩壊のときには、約110万人のユダヤ人が 犠牲となり、10万人が捕虜となりました。
 「そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。市中にいる者は、そこから出て行くがよい。また、いなかにいる者は市内にはいってはいけない。」(21)
 後に『教会史』を記したエウセビオス(263-339)は、この時、イエス様が命じられた通り、エルサレムやユダヤの教会の人たちは避難したと書いています。ユダヤ人クリスチャンたちは、イエス様のこの言葉を心に留めていたのでしょう。エルサレム陥落の前に、ヨルダン川を越えてペレアのペラに逃れて難民となり、生き延びることができました。(約10万人)  ユダヤ戦争でユダヤ人は国を失い、世界中に離散し、「放浪の民族」となってしまいました。(24前半)
次にイエス様は異邦人の支配と彼らへの宣教の時があることを告げられます(24後半)。「異邦人の時期」は異邦人がエルサレムを占拠している期間ですが、それは異邦人に福音が伝えられ、イエス様を信じ、神の国に招かれているときでもあります。
 「こうして、福音はまずすべての民に宣べ伝えられねばならない。」 (マルコによる福音書13章10節 p.74)   

結 論)
   20世紀の後半、イスラエルには再びユダヤ人が住むようになり、また全世界に福音は広がりました。 (1948年 イスラエル建国)
 イエス様が言われた「異邦人の時期」(24)の終わりは確実に近づいています。主イエスの再臨の前兆は、今までの 2000年の歴史の中ではっきりと現れているのではないでしょうか。
 私たちは、いろいろなものに惑わされやすく、恐れやすいものです。でも今も生きておられるイエス様が聖書の言葉を通して、「…惑わされないように気をつけなさい。」 (8)、「…おじ恐れるな。」(9)と語りかけ、励まして下さいます。日々、聖書のみ言葉による励ましをいただきましょう。
 私たちは、主イエスの十字架の血によって罪赦され、主 イエスの命に生かされている者です。この世の煩いによって沈み込むことなく、主イエスを信じる信仰に固く立ち、主に仕える者として、歩み続けてまいりましょう。