詩篇23篇1~6節

主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。 主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。         詩篇23: 1-2 (p.76)

序 論)  
  救い主イエス様のご降誕の知らせを最初に聞いたのは羊飼いでした(ルカ2章8-12節)。聖書には、神様を 羊飼い、イスラエルの民を羊にたとえている箇所があります。(イザヤ書40章11節p.997、エゼキエル34章11節 p.1198 等) この詩篇23篇では、作者のダビデ王 が、自分自身を羊の立場に置き、牧者(羊飼い)である、主への信頼と感謝を歌います。

本 論) 1.主は私の羊飼い
  ダビデは、神様を「わたしの牧者」(1)と言い、神様との個人的な関係を告白します。
  羊は、自己防衛力(鋭い爪や牙等)を持たず、視力も弱い動物であるように、詩人は自分もそのような弱い者であり、羊飼いである神様に自分の全存在を委ねていると信仰告白しています。神様は羊を養う羊飼いであると同時に羊の持ち主(所有者)でもあられます。ダビデは自分が主のものであることを自覚して、信頼していました。
 そして「わたしには乏しいことがない。」(1)と告げている様に神様は私たちの必要を満たしてくださるお方です。
 牧草や水は羊の命を支えるものですが、当時のパレスチナ地方は牧草も水も乏しく、優れた羊飼いがそれらを探し 当てていました(2)。羊飼いが羊を飢えや猛獣の危険から守っていますから、弱い羊たちの生死は羊飼いにかかっていました。
 さらに神様は私の弱っている魂を生き返らせて下さいます。(3) 特に、霊的な食物である神の言葉によって養って下さいます。主が導かれる人生の道は、「悪と滅び」の道ではなく、神様と共に歩む「義(正しさ)と命」の道です(3)。

2. 主が私と共にいて下さる
  羊飼いが羊たちを良い牧草地へ連れていくときには、険しい道を通ることも、獣に襲われる危険もあるでしょう。
 それは、私たちが生きていく中で遭遇する試練のようです。
 飼い主である神様は、より豊かな場所へ私たちを導くために、試練の道を歩かせられることがあります。それは、私たちにはつらく、神様から見捨てられてしまったのではないか、と感じてしまうこともあります。
しかし、羊飼いがいつも羊のそばにいて導くように、神様は「死の陰の谷」(狭く険しく見通しのきかない深い谷)(3)を歩むような苦しく悲しい時でも、私たちのそば近くにいて下さるのです。神様が自分をお見捨てになるようなことはないという思いに立ち返り、近くにおられる主との交わりを回復し、さらに深めることができるように祈りましょう。
  片時も離れず私たちに寄り添って下さる主を覚えるとき、「私たちは大丈夫、羊飼いなる主にお任せして歩めば恐れることはない」という主にある平安をいただくことができます。
  羊飼いの鞭(むち)は、敵である狼を追い払うためのものです。先の曲がった杖(つえ)は、崖(がけ)に落ちた羊を救い出すためのものです(4)。そのように、主は私を守り、慰め、力づけ、救って下さいます。
  「あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け…」  (5)は、主の守りは、敵の前で平然と食事ができるほど安全で確実であることを示しています。遊牧民の生活において逃亡者は天幕の主人の好意によって安全を保障されていました。実際にダビデは、息子アブサロムの追手を目前にしながら、バルジライからもてなしを受けたことがありました。(サムエル記下17章27-29節 p.459)
  「油を注がれる」(5)は、ここでは任職の儀式としての油 注ぎではなく、もてなしを受けた喜びを示しています。当時のパレスチナ地方では、主人が客人の頭に油を注ぐことは、客を歓迎する時の習慣でした。「わたしの杯はあふれます」(5)は、豊かなもてなしを受けている様子を示し、主のあふれる恵みを歌っています。

結 論)
  イエス様は、「わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。」(ヨハネによる福音書10章 11節 p.156)と言われました。良い羊飼いは羊を守るために命懸けで獣と戦いますが、イエス様はこの言葉通り、私たちを罪から救うために十字架で命を捨てて下さいました。そして三日目に復活され、罪と死と悪魔に勝利されました。そのお方が今も生きておられ、私たちと共にいて下さるのです。
 羊飼いである主イエスは、私たちの生涯を通して、あふ れるばかりの祝福を与えて下さいます。(6) 「必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。」(6)の「伴う」の原語は、「追いかける」という意味の言葉が用いられています。主イエスに従って歩む者には、神様の祝福が追いかけてくる、それほどに神様は私たちを愛しておられ るのです。 今年は当教会にとっても特別な大きな恵みが与えられた感謝の一年でした。一年間の神様の恵みといつくしみを顧み、新しい一年も、「主の宮」(6)での、主との交わりを大切にし、与えられた所で、それぞれのなすべき務めを果たしてまいりましょう。