ルカによる福音書19章28~40節

 いよいよオリブ山の下り道あたりに近づかれると、大ぜいの弟子たちはみな喜んで、彼らが見たすべての力あるみわざについて、声高らかに神をさんびして言いはじめた、 「主の御名によってきたる王に、祝福あれ。天には平和、いと高きところには栄光あれ。」     ルカ19章37-38節 (p.123)

序 論)今回の箇所は、イエス様が地上の御生涯の最後にエルサレムに近づき、入城される様子が告げられています。エルサレムに上る一行の先頭にイエス様はおらました(28)。イエス様は…

本 論)1.ロバに乗って入城された
  オリーブ山に登っていく途中に「ベテパゲとベタニヤ」(29)という村がありました。まず、二人の弟子が、イエス様によって使いに出されました(30~31)。主イエスが求められたのは戦争で用いられていた馬ではなく、ロバでした。これは旧約聖書のゼカリヤ書9章9節(p.1317)の預言の成就でした。「シオンの娘よ、大いに喜べ、エルサレムの娘よ、呼ばわれ。見よ、あなたの王はあなたの所に来る。彼は義なる者であって勝利を得、柔和であって、ろばに乗る。すなわち、ろばの子である子馬(「子ろば」新改訳)に乗る。」  ロバの所有者たちは、自分たちこそがロバの主人だと思っていました。しかし、このロバの子は、自分の本当の主人、王である主イエスに召し出されて、そのご用のために用いられたのです。そのロバにイエス様が乗られます。そうすると、人々は自分たちの服を道に敷いてイエス様を迎えました。(36)彼らはこのことを命じられたから行ったわけではなく、自分からそうしました。これは、旧約聖書に見られる王を迎えるときのならわしに従ったのではないかと言われています。(列王紀下9章13節p.534 参照)
これらは弟子たちが計画して成ったことではありません。イエス様が主導され、先頭に立って進まれ、弟子たちを使いに出したりしながら、すべてを導いて下さいました。弟子たちは、ただそのご計画の中にいることを許され、そのために用いられました。
今も、イエス様は私たちの先頭に立ち、私たちを導いて下さっています。私たちは、イエス様を信じ、従うことができる恵みの中に、神様の大きなご計画の中に生かされているのです。

2. 主の御名によって来たる王として入城された
弟子たちは、声高らかに主の御名を賛美します(37)。「彼らが見たすべての力あるみわざについて」(37)とあるように彼らは、イエス様に従って来て、様々な奇跡を目の当たりにしてきました。そのことを思い起こして賛美していたのです(38)。
弟子たちの賛美に「天には平和」という言葉があります。クリスマスの時の天使の賛美は「地には平和」でした。(ルカによる福音書2章14節 p.85) 先ほど読んだゼカリヤ書9章の10節はこう告げています。「わたしはエフライムから戦車を断ち、エルサレムから軍馬を断つ。またいくさ弓も断たれる。彼は国々の民に平和を告げ、その政治は海から海に及び、大川から地の果にまで及ぶ。」
イエス様は平和の主として、この地上に、エルサレムに来て下さいました。地上は相変わらず、争いや戦いで満ちています。しかし、ロバの子に乗ってエルサレムに来て下さったイエス様の十字架と復活と昇天によって、天において、罪と死の力は既に打ち破られ平和が打ち立てられているのです。そのことを信じて、主イエスによる救いの恵みをほめたたえつつ地上の歩みをするのがイエス様に従う信仰者(キリスト者)です。
イエス様に敵対していたパリサイ人たちは、主に弟子たちを黙らせるようにと言います(39)。しかし、イエス様は弟子たちの賛美と叫びを許されました。「あなたがたに言うが、もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶであろう。」(40)主の御名を讃える賛美の声は誰も止めることはできませんでした。

結 論) このような素晴らしい賛美の言葉と声が与えられた弟子たちでしたが、この日から数日後、弟子たちから賛美の声が消えてしまいました。賛美するどころではなく、
イエス様が十字架にお架かりになる直前に、主を見捨てて逃げ出してしまいました。イエス様の一番弟子のペテロでさえ、イエス様のことを知らないとまで言ってしまいました。(ルカ22章57節等) そんな弟子たちであることを知りながら、イエス様は彼らがご自分に従ってくることをお許しになりました。そのように弱く頼りない弟子たちでしたけれども、主イエスは、お見捨てになることなく復活の後、訪ねて下さいました。彼らも神様の大きな救いのご計画の中に置かれていました。
エルサレムに来られたイエス様は、私たちのもとにも来て下さいました。私たちも聖書のみ言葉を通して、イエス様とお出会いし、罪赦され、主を信じ従う者とされました。 私たちも、小さな者であっても、「子ろば」のように、主に用いられる者とさせていただきましょう。私にとっても王となり、人生の導き手となって下さった主イエスの御名を賛美しつつ、主に従い続けましょう。