「おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう。」 (ルカ14章11節 p.114 )
序 論)あるパリサイ人が安息日にイエス様を食事に招きました。主イエスを訴える口実を得るためでした。でも、主は彼らを恐れず、水腫をわずらっていた人をあわれんでいやされました。そしてその家にいた人たちに譬(たとえ)を語られました。彼らに伝えようとされたことは…
1 自分を低くする者となるように
食事に招待された人々が、できるだけ上席に着こうとしている様子を主イエスはご覧になりました。律法学者やパリサイ人たち(3)はいつも人々から「先生」と呼ばれて尊敬を受け、招待されればいつも上席(上座)に案内されていました。だから自分は上席に着く者だという感覚が身についていたのでしょう。
イエス様が語られたこの婚宴に招かれた人のたとえ、の中心は何でしょう。それは上座よりも末座に着く方がよい、ということではありません。その中心は、上座についた者は後で末座の方に移動させられ、末座についた者は後で上座に移動させられる、という箇所(9-10)です。そのことによって、イエス様が語ろうとしておられるのは、「おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう。」(11)ということです。新共同訳聖書では、「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」と訳されています。自分を高くする者(高ぶる者)とは、神様に対し、自分でお返しができる、自分の中にも、神様に貢献することができるものがあると思っている人です。逆に自分を低くする者(へりくだる者)とは、神様の恵みをただで受けるだけで何のお返しもできない、神様に貢献するようなものは何も持っていない、という人です。神様は、高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みをお与えになるお方です。(ペテロへの第一の手紙5章5節p.371)
「高ぶる」、「へりくだる」というのは、人間同士の比較によって、自分の方が上だと思って誇るとか、自分は駄目だという劣等感によって卑屈になる、ということではありません。イエス様はそのような人間同士の比較ではなく、まことの主人である神様が、どのような者をご自身の宴会の席に招いて下さるのか、ということにこそ、目を向けなさいと教えておられます。神様が招き、救いにあずからせて下さるのは、私は、自分の力でやっていけるし、神様のために何かをすることができると自負している人ではなく、私は、自分の力ではとうていやっていけない、神様のために何かをすることなどとてもできない、と思っている人です。
2 神様は「貧しい人」をこそ招かれる
次にイエス様は、自分たちを招いた人、パリサイ派の人に向って言われます(12-14)。これは人を宴会へと招くときの話しです。これも、11節の言葉と関連付けて語られています。「友人、兄弟、親族、金持ちの隣り人など」、これらの人が「自分を高くする者」です。「貧しい人、体の不自由な人、足の悪い人、目の見えない人など」、これらの人が「自分を低くする者」です。そして両者の違いは「お返し」ができるか、できないかです。宴会に招かれたら、今度は自分の方も宴会を催してその人を招待する、そのようにお返しができる人と、貧しくて宴会を催すことなどとてもできず、お返しをすることのでできない人が対比されています。そして、その貧しくてお返しのできない人をこそ招きなさい、と教えられています。そうすることによって、「正しい人々の復活の際には、あなたは報いられるであろう」(14)と言われます。これは、この世の終わりにおける神様の裁きのときに、という意味です。(ここでは正しい人への報いを強調しておられるので、「正しくない者」の裁きへの復活を否定しておられるわけではありません。ヨハネによる福音書5章29節 p.144使徒行伝24章15節 p.225 参照)
報いて下さるのは神様です。つまり、このように貧しい人を招くことを、神様は喜んで下さいます。神様がそのことを喜んで下さるのは、神様がそのようなお方だからです。父なる神様の神の国への招き、救いはこのたとえの宴会への招きのようなものです。神様は、お返しができる者をではなく、お返しなどできない、ただ恵みを受けることしかできない者をこそ、招き、救いにあずからせて下さるのです。これが、「おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」と言われる言葉の意味です。
結 論)神様は、「自分を低くする人」、「へりくだる人」と共にいて下さり、命を得させて下さいます。自分を低くする人は、自分の罪を認め、悔い改め、罪や罪のもたらす苦しみからの救いも、自分の力では得ることができないことを神様から示され、そのことを悟った人 です。このことを知っていることが、「へりくだり」です。
主イエス・キリストは、私たちの全ての罪を背負って、十字架にかかり死んで下さいました。そのことを信じ、主イエスを信じ、受け入れる者を、神様は神の国に入れて下さり、宴会の席に着かせて下さいます。神様は、十字架にかかられ、復活されたイエス様のもとに来るようにと、神の国の宴会の席へと今日も私たちを招いて下さっています。