マタイによる福音書1章18-25節

「彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである。」(マタイ1章21節 p.1)

序 論)マタイ福音書は、イエス・キリストが旧約聖書で預言されていた救い主であり、真の王であることを強調している書です。イエス様はおとめマリヤからお生まれになりました。イエス様がこの地上に来て下さったのは…

本 論)1、私たちを罪から救うため
  「正しい人」であったヨセフは、身重になったマリヤを守るためひそかに離縁しようと決心します(19)。「夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさら者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。」(19新改訳聖書)彼は「心配し」「恐れ」(20 新改訳)ていました。そのとき、主の使いが夢の中で、ヨセフに告げました。
マリヤの胎内に男の子が宿ったのは、聖霊のお働きによることでした。「イエス」という名前は、「主は救い」という意味です。「おのれの民」(19)とは、「ご自分の民」 (新改訳)とも訳されていますが、イスラエル民族のことです。しかし、「神の民」という意味に受け止めると、主イエスを信じる人たちが「神の民」と受け止めることができます。
主イエスは、私たちを、「そのもろもろの罪」から救うために来て下さいました。その名の通り、私たちが受けるべき罪の罰を、十字架の上で一身に受けて下さって、私た ちの身代わりになって死なれました。その死によって、私たちの罪は赦されたのです。 イエス様を、救い主(キリスト)と信じる者は、罪赦され、罪から救われ、新しい人生を歩み始めることができるのです。このようにイエス・キリストは、御使いが告げた通り、その救いのみわざを成就して下さいました。マタイは1章1節で「イエス・キリストの系図」と言い、イエス様はキリストであることを最初から強調しています。御使いの言葉「彼は」(21)は「この方こそ」(新改訳)と訳されています。このお方、イエス様だけが、神の御子、私たちの唯一の救い主です。そして、私たちのことを「わたしの民」と呼んで下さる真の王なのです。

2、私たちと共に生きるため
さらに御使いは、主イエスは「インマヌエル」と呼ばれると告げます。「インマヌエル」という言葉は、このときから約700年前に、イザヤが告げたやがて来られる救い主の名です。(イザヤ書7章14節 p.952)
「インマヌエル」は、「神われらと共にいます(神はわたしたちと共におられる)」という意味です。
十字架にかかられ、三日後に復活されたイエス様は、弟子たちに向って「見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいるのである。」(マタイ28章20節 p.50)と「インマヌエル」を約束して下さいました。十字架にかかり、復活されたイエス様を信じ、心に受け入れる私たちの内に主イエスは聖霊によって生きて下さいます。私たちは、地上の生涯においても、
新聖歌84番 4節の歌詞
「ああベツレヘムの 聖き御子よ
今しもわれらに 降り給え
心をきよめ 宮となして
今よりときわに 住まい給え」
2000年前にユダヤのベツレヘムにお生まれになった御子イエス様は、信じる私たちの内に住んで下さり、心をきよめ、私たちを「神の宮」として下さいます。そしてときわ(永遠)に共に生きて下さるのです。

結 論)  ヨセフは御使いの言葉を信じ、マリヤを妻として「迎え入れ」(20 新共同訳)ました。それは、聖霊によって「おとめマリヤより生まれ」たイエス様を迎え入れることでもありました。マリヤを迎えたことはヨセフにとっても後に大きな祝福となります。父親となったヨセフにとっても、たとえ幼子であってもイエス様はキリストなのです。
 「ダビデの子ヨセフ」(20)がイエス様を迎え入れたことにより、イエス様もダビデの直系となられ「ダビデの子」と呼ばれるようになりました。
クリスマスを待ち望むこのとき、私たちもイエス様を心にお迎えし、主の恵みへの感謝を新たにいたしましょう。そしてもっともっと多くの人たちが、イエス様を知り、信じることができますように、と祈りながらこのアドベントのときを過ごしましょう。