イザヤ書7章1~17節

「それゆえ、主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる。」              (イザヤ書7章14節 p.951)

序 論)北イスラエルの王ペカが、スリヤという異邦人の国と同盟を結んで、南ユダ王国に攻め寄せて来ました(BC733年頃、歴代誌下28章p.636参照)。このとき、ユダは滅亡を免れましたが、同盟の知らせに「王の心と民の心とは風に動かされる林の木のように動揺」しました(2)。このとき主は預言者イザヤに、息子を伴ってアハズ王に会見することを命じられました。イザヤが伝えたことは…

本 論)1、神様を信頼すること
「上の池の水道の端でアハズに会い」(3)とあるように、アハズ王は長期戦になることを予想し、水場を視察していました。ここに水やもろもろのことを案じていながら、神様を頼りにすることに思い至らないアハズ王の姿が示されています。イザヤは王に主の言葉を伝えます。「気をつけて、静かにし、恐れてはならない。」(4)  神様に信頼してより頼みなさい、と。 さらにスリヤも、北イスラエルも間もなく滅びる、彼らは、「二つの燃え残りのくすぶっている切り株」(4)に過ぎないとイザヤは告げます。そして、王レヂンと王ペカの計画が、人の計画であって神の計画ではないが故に実現しないことを語ります(7)。 この預言の通り、スリヤの首都ダマスコは間もなく滅びました(BC732年)。北イスラエルの都サマリヤも10年後(BC722年)に陥落していました。 地上のどのような強大な者も、神の御手の中(掌中)にあります。それゆえに、現状が人間の目にどれほど、悲観的絶望的に見えても、神様はその現状を切り開き、変えることができるお方です。
歴史を支配される神様を信じきることがアハズに求められました。「もしあなたがたが信じないならば、立つことはできない。」(9) このイザヤの言葉は、今日の私たちに対しても語られています。 アハズのように人間的な策をあれこれ練るだけではいけません。「人事を尽くして天命を待つ」のでもありません。「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」(詩篇46篇10節 p.788) まず神様に祈り求めてましょう。その後に、私たちの成すべきことを精一杯成してまいりましょう。

2、インマヌエルの約束
イザヤの警告にも関わらず、アハズは、スリヤと北イスラエルが最も恐れていた強国アッシリヤに助けを求めました。しかし、それは、ユダ王国の将来を破滅に導く決定的な原因となってしまったのです。 主は、聞き入れないアハズに再びイザヤを遣わされました(10)。ここに、一度語って悔い改めない者に「再び」語りかけられる忍耐と愛に満ちた神様のみ姿が表わされています。
「主に一つのしるしを求めよ。」(10)とイザヤはアハズに向かって語ります。しかし、彼が示した答えは「わたしはそれを求めて主を試みることはいたしません。」でした。(12)  アハズ王と家来たちは、自分たちの政治的な企てを隠すための口実としてこのような敬虔さを装ったのです。それは偽りの敬虔さでした。
イザヤは、この背信のアハズ王とその側近たちに向かって「あなたがたは人を煩わすことを小さいこととし、またわが神をも煩わそうとするのか。」(13)とその激しい憤りをあらわにしました。そして、しるしを求めないアハズに向かって、主が自ら彼らにしるしを与えられると告げ、インマヌエル預言をしました。(14) さらに困窮の時代が来、「アッシリヤの王」がスリヤとイスラエルの「二人の王」よりも危険な存在であることとダビデの家にもたらされるさばきが告げられます (15-17)。
しかし、神様が与えられたインマヌエルの約束はユダヤの民にとって希望の言葉として残りました。
「インマヌエル」(神、我らと共にいます)は、このときから約700年後、イエス・キリストの来臨によって実現しました。イエス様は、インマヌエルの神として私たちに救いをもたらして下さいました。特にマタイによる福音書では「インマヌエル」が主題として貫かれています。マタイによる福音書1章で、主の使いがヨセフに救い主誕生を告げた後、これが預言の成就であるとして1章23節 (p.1)にイザヤ書7章14節が引用されています。
主イエスは弟子たちに「また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。 ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである。」と約束して下さいました(マタイによる福音書18章18-19節 p.29)
そして十字架にかかられ、復活されたイエス様は、弟子たちに「インマヌエル」を約束して下さいました。「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。(マタイによる福音書28章20節 p.50)

結 論) 主イエスの御降誕、そして主の十字架と復活によって、救いのみわざが成し遂げられたとき、インマヌエル預言と約束は成就されました。
「インマヌエル(主がわたしたちと共にいてくださる)」こそが私たちに与えられる最大の恵みなのです。アドベントのとき、インマヌエルの恵みをさらに覚え、感謝し、クリスマスに備えるときといたしましょう。