「ただ、御国を求めなさい。そうすれば、これらのものは添えて与えられるであろう。 恐れるな、小さい群れよ。御国を下さることは、あなたがたの父のみこころなのである。」(ルカ12章31-32節 p.110)
序 論)私たちはいろいろなことで思いわずらい、悩みます。個人のことから世界のことまでいろいろなことが心配になり、不安になります。イエス様は、そのような私たちに語りかけ、励まして下さいます。
本 論)1、神様が養い、装って下さる
「からす」(24節)は、私たちにとって悪いイメージを与える鳥ですが、当時もそうでした。旧約聖書には、烏(カラス)が汚れたもののリストの中に入っています。(レビ記11章15節 p149) イエス様が言われたのは、からすを見なさい。みんなから嫌われるカラスでさえ、神が養って下さるではないか、そう言われるのです。
鳥(とり)も野の花も、神様が養い、装って下さっている、だから、私たちの命も体も、神様が養い、装って下さることを知りなさい、と言われます。異邦人、まだ神様を知らない、信じていない人たちは、自分で自分の命と体を養わなければならないと思い、「何を食べようか、何を着ようか」と思い悩んでいます。しかし、私たち(キリスト者)は、私たちに命と体を養い装う食べ物や衣服が必要なことをご存知であり、私たちを愛し、必要なときに必要なものを与えて下さる父なる神様がおられることを知っています。 私たちはイエス様を信じて神様の子とされました。だから父なる神様の愛を信じて、自分の命と体を神様に委ねて安心して生きることができます。父なる神様に祈り、委ねるとき、思いわずらいから解放されるのです。
このようにイエス様は、思いわずらい、目に見える現実にだけ囚われてしまい、狭い範囲しか見られなくなってしまう私たちのために、もっと広い世界に目を向け、そして神様に心を向けなさいと言われます。英国の神学者ジョン・ベイリーは次のような祈りの言葉を記しています。
「どうか、今日、あなたのお造りになった世界を喜ぶ心を私にお与えください。あなたの美しい世界に目を閉じて歩くことがありませんように。商店のにぎわいに気をうばわれて、ひろやかな野や、みどりの木々を忘れることがありませんように。工場や、事務所や、書斎の低い屋根の下にいて、あなたの造られた大空を忘れることがありませんように。」(『朝の祈り、夜の祈り』)
2、父なる神が御国をくださる
「食べ物」や「着物」が表わしている「現実の目に見える世界」だけがすべてではありません。全宇宙と私たち一人ひとりを造られた神様がおられるのです。イエス様は「ただ、御国を求めなさい。そうすれば、これらのものは添えて与えられるであろう。」(32)と言われます。現実の生活だけで心をいっぱいにするのではなく、父なる神様に心を向け、祈るときを持ちましょう。それを続けていくうちに、自分にとって本当に大切なものは何かということも示されてきます。
さらにイエス様は「恐れるな、小さい群れよ。御国を下さることは、あなたがたの父のみこころなのである。」と言われました。(32節) (「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」新共同訳)
父なる神様が、私たちへの愛によって、喜んで神の国を与えて下さいます。そのために、神様のひとり子イエス様がこの世に来て下さり、私たちの罪を全て背負って、十字架にかかって死んで下さいました。天の父なる神様が私たちに喜んで神の国を与えて下さることは、主イエスの十字架の死と、さらにその死を打ち破って神様が与えて下さった復活において示されています。私たちは、神様が御子イエス様の十字架の死と復活によって与えて下さった神の国、神様の恵みのご支配を信じて、それをこそ求めて生きるのです。そこに、父なる神様が、私たちの命と体とを養い、装って下さるその愛の中を、思い悩みから解放されて生きる信仰者としての歩みが与えられるのです。
「…天に、尽きることのない宝をたくわえなさい。」(33)これは施しなどの良い行いをすることによって、その報いによって救いを得ようということではありません。「宝」というのは、私たちが頼りにしているもの、より頼んでいるものです。それをどこに置くかが問われています。それを天にたくわえるとは、神様にこそより頼むことです。
「あなたがたの宝のある所には、心もあるからである。」(34) この言葉も本当に頼りとしているもの、より頼むものをどこに置いているか、という意味です。人生を養い装うのは、自分自身だ、と思っているならば、その人は自分により頼んでおり、宝を自分に積もうとしており、その心は地上にあって天にはないのです。しかし、神様を知り、信じる人は、父なる神様が自分の命と体を養い、装って下さることを信じ、その神様により頼んでいます。
結 論) まず、御国(神の国)を求めるなら、私たちに必要なすべての物は与えられます。自分たちの心がどこに向いているかによって、現在の生き方が決まることを忘れないようにしましょう。
イエス様を信じ、イエス様と共に天の父に委ねながら歩みましょう。
「ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。」 (詩篇68篇19節 新改訳聖書)
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神に委ねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」 (ペテロの第一の手紙5章7節 新改訳聖書)