「(アブラハムは)神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。」 (ローマ人への手紙4章21節 新改訳 )
序 論)アブラハムのもとを訪れた3人の旅人(神様と御使い)には、ソドムゴモラの状況を見て、さばきを決定するという目的がありました。その前にもう一つしておかなければならないことがありました。それは、アブラハムとサラに子どもが生まれることを再び告げることでした。
本 論)1、恵みのみ言葉が告げられる
アブラハムは前にも神様の約束の言葉を聞いていました。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい」「あなたの子孫はあのようになるでしょう。」 (創世記15章5節 p.16) しかし、ところがその後、何年たっても赤ちゃんは生まれません。アブラハムは100歳、妻のサラは90歳になっていました。神様はアブラハムにこのときも、子供の誕生を予告されましたが、アブラハムは疑って笑ってしまいました。 (創世記17章15-17節 p.18)
その後、アブラハムは、訪れた三人を丁寧にもてなしました。食事の後、ひとりの人がアブラハムに言いました。「来年の春、わたしはかならずあなたの所に帰ってきましょう。その時、あなたの妻サラには男の子が生れているでしょう。」(創世記18章10節 p.19) サラはもう子どもを産むのは不可能な体になっていました。天幕の入り口で聞き耳を立てていた彼女は、「私たち年寄りの夫婦から、子どもが生まれるはずがない」と心の中で笑いました(12節)。
神様は、アブラハムに「主にとって不可能なことがありましょうか。来年の春、定めの時に、わたしはあなたの所に帰ってきます。そのときサラには男の子が生れているでしょう。」と以前の約束を繰り返されました(14節)。
2、イサクの誕生
それから一年後、神様が約束された通りにサラは身ごもり、男の子を産みました。(創世記21章1-2節 p.23)
神様は、人の都合や思い込み、状況に関係なく、必ず約束を成し遂げられるのです。
アブラハムはその子を「イサク」と名づけ、生まれて八日目に割礼を施しました。イサクとは「彼は笑う」という意味です。
「神はわたしに笑いをお与えになった。聞く者は皆、わたしと笑い(イサク)を共にしてくれるでしょう。」(創世記21章7節 新共同訳聖書の訳)
かつてアブラハムもサラも子どもが与えられると約束されたとき、信じることができませんでした。不信仰のゆえに笑いました。しかし、約束が成就した今、その笑いは喜びの笑いに変わりました。二人はもちろん、周りの人々も、喜びの笑いで満ちあふれたことでしょう。その様子をご覧になって神様ご自身も喜ばれたことでしょう。
「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。」(創世記12章2節 p.13)という神様からの最初の約束をいただいてから25年後、とうとう一人の息子が与えられました。
約束の実現を待つのは忍耐の要ることです。しかし、神様は決して約束を忘れず、神のときに神の方法で、それを実現して下さいます。
結 論)アブラハムは、「神様にはできないことはない。必ず約束を守ってくださる」という信仰を持ち続けました。 (ローマ人への手紙4章19-22節 p.238)アブラハムも私たちのようにときには迷ったり、疑ったり、不安になるときもあったかもしれません。でも、そんなときも素直に祈って、神様からの励ましをいただいたことでしょう。
「だから、彼は義と認められたのである。」(ローマ4章22節)とは、み言葉を信じ続けたアブラハムの信仰を神様がお喜びになったということです。ですからアブラハムは、「信仰の父」と呼ばれているのです。
「神様にできないことはない。最もよい時に、最もよいものを与えて下さる。」このようなアブラハムの信仰に、私たちも見習っていきましょう。