創世記12章1-9節

時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。 わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。」          (創世記12章1-2節  p.13)

序 論)カルデヤ(現在のイラク)のウルに住んでいたアブラハム(最初の名はアブラム)、神様の導きに従ってカナンの地(イスラエル)に移り住みました。主の言葉には「国を出て、親族に分かれ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。」という命令と「あなたを祝福する」という約束が組になっています。アブラムは主の約束を信じて、命令にそのまま従います。アブラムは…

本 論)1、真の神に信頼して
 「父の家を離れる」とは、目に見える財産に頼らないで、主の言葉だけに従うことです。アブラムはウルの町にとどまっていれば、不自由なく暮らすことができたでしょう。 しかし、アブラムが求めたのは、目に見える財産を受け継ぐことではなく、神様から祝福されることでした。実際アブラムは、移住したカナンの地で生涯家を建てることなく、 天幕住まいでした。地上の宝ではなく、「神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していた」 (へブル人への手紙11章10節 新共同訳)からです。
アブラムに続いてこの後に創世記に記されているイサクやヤコブ、ヨセフもそれぞれ、父の遺産ではなく神の祝福を求めて主に従いました。
私たちも、聖書を通して、神の言葉に触れ、教会に導かれ、真の神様がおられること、御子イエス様のことを知りました。アブラムのように移住することはなくても、かつて偶像(真の神様以外の神々)を拝んだり支配されていた者が、真の神様を信じる者へと変えられたのです。罪の世界から離れ、御国を目指して歩む者とされました。
アブラムは自分の願いや考えではなく、ただ主の導きに従いました。カルデヤ地方は豊かな土地で、その当時、世界の最先端を行く文明・文化の地です。それに比べれば当時のカナンの地は辺境で、人口も少ない所でした。それもアブラムは「カナンの地」と初めから示されたのではなく、「行く先を知らないで出て行った」(へブル人への手紙11章8節 p.355)のです。どこに導かれるかが問題ではなく、「わたしが示す地」(1)であれば、どこでも従ったのがアブラムの信仰でした。
私たちにとっても、主が示される地とは、その地が経済的に豊かであるか、住むのに楽かどうかよりも、主が共におられるところであり、やがて帰るべき天の御国への途上にあると確信できるところです。聖書に出て来る信仰者たちは、主が共にいて下さることを、何よりの祝福と受け取り、地上では「旅人であり寄留者」であることを自ら言い表し、「天にあるふるさと」を熱望していました。(へブル人への手紙11章13-16節 p.355)

2、祭壇を築いて、主の名を呼んだ
 アブラムは、カナンへの移住後も何度か住む所を変えますが、いつも祭壇を築き礼拝をささげました(7)。「祭壇」は礼拝の場であり、「主の名を呼ぶ」は、主を礼拝する、
神様に祈ることを意味しています。
この礼拝の姿から教えられるのは、「祝福されたから礼拝する」のではなく、「約束を信じて礼拝する」「神様が神様であられるがゆえに礼拝する」ということです。「あなたを大いなる国民とする」(2)と言われてもこの後、アブラムに与えられる正統な子どもはただ一人(イサク)であり、一つの民族(イスラエル民族)が生み出されるまでには数百年かかりました。またキリストの御降誕まではさらに数百年の年月が必要でした。アブラムは「望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認する信仰」を持って歩んだのです。(へブル人への手紙11章1節p.354)
また、祭壇を築くのは、主の臨在が確かであり、神様を第一とし、礼拝をささげる姿です。「すべて主の名を呼ぶ者は救われる」(ヨエル書2章32節 p.1264ローマ人への手紙10章13節 p.246 に引用されている。) 主からの祝福の約束はアブラムから始まりました。「祝福の基となる」(2)の原文は単純に「あなたは祝福となる」です。アブラムに与えられる祝福が他の人々にも及んでいくのです。 「わたしはあなたの子孫にこの地を与えます。」(7)この「子孫」は単数形で、単数の意味にも、複数の意味にも用いられます。これはアブラムの子孫でもあるユダヤ人を指していますが、究極的にはイエス・キリストを指し示しています。
「さて、約束は、アブラハムと彼の子孫とに対してなされたのである。それは、多数をさして「子孫たちとに」と言わずに、ひとりをさして「あなたの子孫とに」と言っている。これは、キリストのことである。 」 (ガラテヤ人への手紙3章16節 p.296)
「地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」(3) これは後に、キリストを信じるすべての者が義と認められ、神様の祝福が及ぶことをあらかじめ示された言葉です。  「聖書は、神が異邦人を信仰によって義とされることを、あらかじめ知って、アブラハムに、「あなたによって、すべての国民は祝福されるであろう」との良い知らせを、予告したのである。」 (ガラテヤ人への手紙3章8節 p.295)

結 論)イエス様を通して、父なる神様は私たちを愛し、祝福したいと願っておられる「愛と祝福の神」であることが示されました。
 アブラムが祭壇を築いた場所は偶像礼拝が行われていたところでした。まことの神様をまだ知らないこの世は、自分の利益ばかり求めている罪の世界です。神様がアブラムを愛し、祝福するためにこの世から呼び出して下さったように、神様は今も私たち一人ひとりの名を呼ばれ、イエス・キリストを通して「あなたを祝福する」と約束して下さっています。
様々な偶像に惑わされず、主イエスを信じ、真の神様に信頼して、祝福に満たされた生涯を歩んでいきましょう。