イエスは言われた、「手をすきにかけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくないものである。」ルカ9章62節
序 論)ルカ福音書のこの箇所(9章51節~)から19章までイエス様と弟子たちのエルサレムへの旅の中での様々な出来事が語られています。今回の箇所で、イエス様が、エルサレムに向かわれる御姿、途中で出会われた三人に対して語られたことを通して、イエス様の願っておられることは…
本 論)
1.エルサレムに御顔を向けられる主
イエス様がエルサレムに上ろうと決意されたのは、天に上げられる時期が近づいたからでした。十字架の死と復活と昇天によって天に上げられる、その時がいよいよ近づい たことを主イエスは悟られ、そのことが起こるべき場所であるエルサレムへ向かう決意を固められたのです。多くの苦しみを受け、排斥されて殺され、そして復活することへと
主イエスはまっすぐに顔を向けて歩み始められました (22節)。
ユダヤの人たちと長年、対立してきたサマリヤ人たちは、イエス様と弟子たちを歓迎しようとはしませんでした。憤慨したヤコブとヨハネは「主よ、いかがでしょう。彼らを焼き払ってしまうように、天から火をよび求めましょうか」。(54)と言いました。しかし、イエス様は彼らをお叱りになりました。
弟子たちは、イエス様が旧約の預言者エリヤのように天から火を呼び下す力を持ったお方だと信じていました。(列王記下1章p.519 参照) ヤコブとヨハネの姿を通して、私たちも、怒りの気持ちや復讐の思いに支配されてしまい、時にはそれを実行しようとさえしてしまう罪ある者であることを示されます。しかし、イエス様はそのような罪ある私たちを救うためにエルサレムに向かおうとしておられたのです。
本来ならば、私たちが受けるべき「神の怒りとさばき」(「天からの火」)を主イエスは私たちの身代わりとなって十字架の上でその一身に受けて下さったのです。以前、このサマリヤの地からもイエス様を信じる人たちが起こされました。(ヨハネ4章39-42節P.141) ユダヤ人サマリヤ人だけでなく、世界中のすべての人が、イエス・キリストを信じ、真の神様に立ち返り、罪による滅びから救われることをイエス様は願っておられます。
「ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。」
(ペテロの第二の手紙 3章9節 P.374)
2.主イエスから目を離さずに
「あなたがおいでになる所ならどこへでも従ってまいります。」(57)と自分の決意を語った人に対して、イエス様は御自分に従うことの困難さを語られました(38)。
主イエスに従っていく信仰の歩みは、自分の決意や努力によって、つまり人間の力によって実現するものではない,ということを示されます。私たちが、自分は主イエスにどこまでも従って行くことができる、などと思うこと(自己過信)は大きな傲慢なのです。
二人目の人は、イエス様の招きに従って行こうとしています。しかし、まず父親の葬りをすませたいと言いました(59)。当時のユダヤ人たちの間でも、父親の葬式を出すことは、子供としての最大の務めだとされていました。しかし、このときのイエス様は、ご自分に従うことを何より優先しなさいと仰いました。当時のユダヤの状況で、十字架に向かわれる主イエスに従っていくことは大きな困難な道を通過する覚悟が求められました。この人の姿は、「主に従うという「第一のこと」を第一にできない私たちの心の弱さや罪の姿を示しています。
三人目の人は、主イエスに従う前に、家族に別れを告げに行かせて下さいと言いました。主イエスは、家族に別れを告げに行こうとすることは、鋤に手をかけてから後ろを顧みるような未練がましいことだ、そういう思いを断ち切るのでなければ、神の国にふさわしくないと言われました。当時、地上におられた主イエスに従っていくことはそれほどの覚悟と緊急性を要することでした。
この三人だけでなく、同じように弱く罪あるすべての人私たちのためにも主イエスは十字架にかかられ、復活されました。イエス様は、私たちの弱点や欠点をすべてご存知でありそれでも私たちに「わたしに従ってきなさい。」(マタイ9章9節 P.12 ヨハネ21章19節 P.178)と呼びかけておられます。それぞれが置かれている立場や状況の中でイエス様を信じ一心にお従いしてまいりましょう。
かつて「雷の子」と呼ばれていたヤコブとヨハネでした。(マルコによる福音書3章17節 P.55) しかし、主イエスに最後まで従った彼らは、主のご愛と力によって変えられ、それぞれの立場で神様の栄光を現し、ヨハネは「愛の使徒」と呼ばれるほどになりました。
結論)天に昇られ、父なる神の右の座に着かれているイエス様は私たちのために絶えず祈り、聖霊を送って下さっています。(ローマ人への手紙8章34節 P.244)
私たちは今いるところでイエス様に心を向け、呼び求め、信じ、従うことができるのです。そして、家族、知人、友人地域の人たちにも福音を伝え、イエス様を証しすることができます。主を信じ、神様を信じる私たちは、神様の祝福の中で生き、やがて地上の生涯の終わり(死のとき)を祝福の中で迎えることができ、御国に移されます。
主イエスに従い、永遠の命の道を共に歩んでまいりましょう。