「わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。」 ヨハネ14章16節
序 論)ヨハネ14章は、イエス様が十字架にかかられる前日、木曜日の夜に弟子たちに語られた言葉が記されています。今回の個所では、イエス様は聖霊について語られます。聖霊は…
本 論)1.私たちと共にいてくださる
イエス様は弟子たちに聖霊を与えると約束されました。「助け主」(16)(「弁護者」新共同訳)は聖霊のことです。「傍らで呼ぶ」が元の言葉の元来の意味です。
私たちがどう祈ったらよいのか分からないときに代わりにとりなし、祈って下さる方。そのとき、聖霊は私たちの「弁護者」です。
私たちがどの道に進むべきか迷ってしまった、八方ふさがりになったとき、私たちを助け、励ます言葉を告げて下さる。そのときは、「助け主」となって下さいます。
また私たちが苦しみや悲しみの中にいるとき、私たちに慰めの言葉をかけて下さる。そのとき、聖霊は「慰め主」です。私たちが道を逸れそうになったり、間違ったことをしているときは、それを示して下さる方でもあります。これらはすべて聖霊の働きです。
主イエスは、「もうひとりの助け主」(16 新改訳)について何度も語られました。(14章26節 p.166 、15章26節16章7節 p.168) 「助け主」(Ⅰヨハネ2章1節 p376)であるイエス様は間もなく去って行かれます。しかし聖霊が来て下さいます。そして、このお方は、「いつまでもわたしたちと共に」いて下さるのです(16)。
主イエスは、聖霊を「真理の御霊」(17)とも呼ばれました。その真理の御霊なるお方が私たちと共にいて下さいます。「世」(主イエスを信じない人たち)は、聖霊を「見よう とも知ろうとも」しません。(17) かつての私たちもそうでした。聖書に書かれていることも、自分には関係のないことだと思っていました。しかし、今は、神様が聖書を通して、自分に語りかけて下さっていると信じて読んでいます。なぜ、そのように変えられたのでしょうか。それは聖霊のお働きによってです。
聖霊によって、私たちは、「イエスは主である」と告白しました。 (Ⅰコリント12章3節 p.270) そして聖霊によって聖書の言葉は、神の言葉として私たちに与えられます。
「私は…。あなたがたのところに帰って来る。」(18)と弟子たちに約束されたように、イエス様は十字架にかかられ死なれた後、復活されて彼らを訪ねて来て下さいました。それから50日後、ペンテコステの日に、聖霊が降りました。「助け主」なる聖霊が弟子たちのもとに来て下さったのです。 旧約時代のユダヤの王ダビデは「御前からわたしを斥けず、あなたの聖なる霊を取り上げないでください。」と祈りました。(本日の交読詩篇51篇13節 讃美歌21 p.56) 旧約時代、聖霊は神に選ばれた一部の人たちにだけ注がれ、ときには取り去られることもありました。しかし、ペンテコステ以降、聖霊はすべての人に注がれ主イエスを信じる私たちといつまでも共にいて下さるのです。
2.私たちの内に生きて下さる
ペンテコステの日に、ペテロは人々に説教をしました。(使徒行伝2章14-36節 p.182)「…あなたがたは彼を不法の人々の手で十字架につけて殺した。神はこのイエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせたのである。」(使徒2章23-24)「だから、イスラエルの全家は、この事をしかと知っておくがよい。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお立てになったのである。」(使徒2章33節)
聖霊に満たされたペテロは、ユダヤの人たち、そして礼拝のためにエルサレムに世界中から集まっていた人々に福音を語り、イエス様を十字架につけた人々の罪を厳しく指摘しました。そして、主イエスの十字架と復活を力強く証ししたのです。人々は、強く心を刺され、悔い改めました。イエス様を救い主と信じた3000人が洗礼(バプテスマ)を受けました。ペンテコステの日は世界で最初の教会の誕生の日でもありました。 (使徒2章37-42節 p.183)ペンテコステ以降は、イエス様が約束された聖霊が与えられる「聖霊の時代」であり、「恵みの時代」です。主イエスを信じる者の内に聖霊は住んで下さり、共に生きて下さっています。そして、聖霊によって、父なる神、御子イエス様が内にいて下さいます。(19-20節) 「弁護者」、「助け主」、「慰め主」なる聖霊が私たちの内におられ、私たちの歩みのすべてを導いて下さるのです。結論)ペンテコステ以降、私たちは父なる神、御子なる神聖霊なる神(三位一体の神)に導かれ、主イエスを信じる者とされました。洗礼も「父、子、聖霊の御名」によって受けました。 (マタイによる福音書28章19節 p.50) 私たちは、もはや「孤児(神なき者)」ではないのです。どんなときも、聖霊によって主イエスが共にいて下さいます。そして、神と主イエスから愛されている私たちはそのご愛を知って、神を愛し、人を愛する者へと造り変えられ、成長していくのです。
ハイデルベルク信仰問答問い1
生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは 何ですか。
答え わたしたちがわたし自身のものではなく、体も魂も生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主イエス・キリストのものであることです。この方はご自分の尊い血をもってわたしのすべての罪を完全に償い、悪魔のあらゆる力からわたしを解放してくださいまし た。また、天にいますわたしの父の御旨でなければ髪毛一本も落ちることができないほどに、わたしを守っていてくださいます。実に万事がわたしの救いのために働くのです。そうしてまたご自身の聖霊によりわたしに永遠の命を保証し、今から後この方のために生き ることを心から喜び、またそれにふさわしくなるように、整えてもくださるのです。 (吉田隆牧師訳)