ルカによる福音書8章49-56節

イエスは娘の手を取って、呼びかけて言われた、「娘よ、起きなさい」。 するとその霊がもどってきて、娘は即座に立ち上がった。       ルカ8章54-55節

序 論)会堂司のヤイロが、イエス様のもとに来てひれ伏し、娘を助けて下さるようにと願いました。彼の十二歳の一人娘が危篤状態に陥っていました。そのような絶望の中で彼はイエス様に、自分の家に来て下さるように願ったのです。主イエスは彼の家に向かわれます。イエス様がヤイロと娘にかけられた言葉は…

本 論)1、恐れることはない。ただ信じなさい。…
  会堂司の家に向かう途中で、病気の女性の癒しの出来事が起こりました(43-48節)。その様子を見、その間ずっと待っていたヤイロはどのような気持ちだったでしょう。  そこに、会堂司の家から人が来て、「お嬢さんはなくなられました。この上、先生を煩わすには及びません」と言ったのです(49)。ついに恐れていた事態になってしまった、最後の望みをかけてイエス様に来ていただこうとしていたのに、間に合わなかった、と父親はその場にくずおれてしまったでしょう。しかし、イエス様は「恐れることはない。ただ信じなさい。娘は助かるのだ。」と仰いました。
このみ言葉はイエス様が先ほど女性に語られた「あなたの信仰があなたを救ったのだ。」と言われた言葉と同じことを語っておられます。信じることによって救われる、信仰による救いです。では、その信仰とは何を信じることなのでしょうか。娘の死を知らせる言葉(49)は、死の現実の前では人間は無力であり、イエス様とてももうどうすることもできないと言う意味が込められています。それに対してイエス様は、「恐れることはない。…」と言われました。娘を奪った死の力に屈服して絶望している父親に、恐れるな、死の力を打ち破ってあなたの娘を救う力のある者がここにいる、という意味を込めて語りかけられたのです。
私たちが、人間的には全く望みがないように思えるときにもイエス様は、「わたしを信頼しわたしに依り頼みなさい。」と語りかけておられます。そして主イエスを信頼する者に救いの御手を差し伸べて下さるのです。

2、娘よ、起きなさい (タリタ クミ)
  イエス様が会堂司の家に着くと人々が娘の死を悼んで泣いていました。イエス様は「泣くな、娘は死んだのではない。眠っているだけである。」と仰いました(52)。すると人々は「娘が死んだことを知っていたので」イエス様をあざ笑いました。彼女は本当に死んでしまったのです。
イエス様は、娘の父母(ヤイロとその妻)と三人の弟子(ペテロ、ヤコブ、ヨハネ)だけを連れて家の中に入られました。イエス様が手を取り、「娘よ、起きなさい。」(アラム語では「タリタ クミ」 マルコによる福音書5章41節 p.59)と呼びかけられると、娘は生き返り、起き上がったのです。たわ言のように思えたイエス様のみ言葉が現実になりました。これは、イエス様は人間にはどうすることもできない死をも打ち破られる力を持たれたお方であることを示す出来事でした。
イエス様の娘に食事をさせるようにとのご命令は、彼女が死の状態から健康体に戻ったこと、そして彼女の体は食事によって維持される必要のある体(もとの肉体)であることを示しています。さらにイエス様は両親にこの出来事を誰にも話さないようにと命じられました(56)。ヤイロ夫妻を騒ぐ群衆から守り、この出来事を静かに思うときを与えて下さったのかもしれません。あるいは誤った動機(奇跡を求める)人々が主に近づかないようにするためだったかもしれません。
会堂司ヤイロは、イエス様を死んだ人もよみがえらせることができるお方だと初めから信じていたでしょうか。そうではありませんでした。彼は娘の死の知らせを聞いて絶望と恐れに捕らえられたのです。そして、その中でイエス様の言葉に励ましと希望を与えられました。主イエスは、憐みをもって彼の願いと求めを受け止めて下さって娘をよみがえらされ、彼のイエス様に対する信仰を強めて下さいました。
後にイエス様は私たちの罪を全て背負って十字架にかかって死んで下さり、罪の赦しを実現して下さったのです。そして、父なる神様が、死の力を打ち破ってイエス様を復活させて下さいました。イエス様の十字架と復活によって実現した神様の救いの恵みによって、罪に支配され、死の力に屈して恐れの中にいた私たちに罪の赦しの恵みを与えて下さり、永遠の命に生かされるようにして下さいました。

結論)ヤイロもその妻も生き返った娘もやがて地上の生涯を終えました。私たちもやがて地上の生を終えるときが来ます。しかし、イエス様を信じる私たちは、主が共にいて下さり、永遠の命の約束が与えられています。この地上の歩みにおいても、やがて天の御国に移されるときも、イエス様はいつも共にいて下さり、約束を成就してくださるのです。  イエス様がヤイロの娘を生き返らせて下さったのは、主イエスが私たちを世の終わりに復活させて下さり、主と同じ栄光の体を与えて下さるという約束の保証、その先取りでもありました。
「わたしをつかわされたかたのみこころは、わたしに与えて下さった者を、わたしがひとりも失わずに、終りの日によみがえらせることである。 わたしの父のみこころは、子を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得ることなのである。そして、わたしはその人々を終りの日によみがえらせるであろう。」(ヨハネによる福音書6章39-40節 p.146)  この約束をイエス様は実現して下さいます。私たちは、この約束を信じて、主のご再臨を待ち望みましょう。
日々の信仰生活において、主の恵み深さをさらに知り、イエス・キリストの命に満たされて、心から神を喜び礼拝しつつ歩んで参りましょう。