ルカによる福音書8章26-39節

「家へ帰って、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったか、語り聞かせなさい」。そこで彼は立ち去って、自分にイエスがして下さったことを、ことごとく町中に言いひろめた。  ルカ8章39節

序 論)イエス様が「湖の向こう岸へ渡ろう」(22)と言われ弟子たちと舟に乗り込み、ガリラヤ湖を渡って行かれました。その船旅の途中で突風が起こり、舟が沈みそうになりました。しかし、主イエスが風と波をお叱りになると湖は静まり、彼らは無事に向こう岸に着くことができたのです。到着した「ゲラサ人の地」(26)はガリラヤ湖の南東に広がる異邦人の地でした。その地でイエス様のもとに悪霊に憑かれた一人の男性がやって来ました。主イエスは彼をどのような人に変えて下さったのでしょう。

本 論)1、正気になってイエス様の足もとに座る
  彼は言葉も行動も悪霊に支配されていました。彼は墓場でどれだけ苦しく、孤独な生活をしていたことでしょう。そしてイエス様は彼と出会われます。悪霊は、イエス様がどのようなお方であるかを知っています。主イエスに「いと高き神の子イエスよ」(28)と大声で言いました。彼らは自分たちがイエス様にとうていかなわないこと、主が自分たちを滅ぼす力を持っておられることも知っていました。自分たちのことを「レギオンと言います。」(99)、(当時のローマ軍1レギオンは6000人)と名乗るほどに数の多い悪霊も、イエス様お一人に立ち向かうことができず、彼らが願ったのは、この人から追い出されるのは仕方がないとして、「底知れぬ所」(31)に落とすのではなくて、せめてあの豚の群れに入らせてもらうことでした。その許しをイエス様に求めたのです。
イエス様がお許しになったので、彼らはその人から出て豚の群れに入りました。すると2000匹の豚(マルコ5章13節 p.58)が崖を下って湖になだれ込み、溺れ死にました。
イエス様は、豚の命を犠牲にして、悪霊に捕らわれていたこの人を解放なさったのです。  悪霊を追い出していただいたこの人は「着物を着て、正気になってイエスの足もとにすわって」(35)いました。衣服を身に着けずに墓場や荒れ野をさまよっていた彼が、今、服を着てイエス様の足もとに座っているのです。「着物を着て」という一言に、彼が正常な人間としての社会生活と人間関係を回復したことが表れています。そして、「イエス様の足元に座っている」ことこそが、彼が救われたことの大きな表われでした。主イエスの足もとに座る、彼は、イエス様の足もとで、そのみ言葉を聞く者となったのです。それまで悪霊の働きに振り回され、心の中の思い、出てくる言葉と行いも自分ではどうすることもできなくなっていた彼が、ようやく自分を取り戻し、自分の言葉を語ることができるように変えられました。
私たちもかつては罪に支配されていた者でした。神様が私たちを罪の支配から解放するために独り子イエス様を遣わして下さいました。そして、罪からの救いがイエス様の 十字架と復活によって与えられました。今、私たちもこうして礼拝に集い、イエス様の足もとに座って神様のみ言葉を聞いているのです。
この恵みのみ言葉、主イエス・キリストによって与えられた救いを告げる福音を聞くことによって、神様に愛され、罪を赦され、支えられ生かされている自分を見出すことが できます。神様を礼拝し、神様と主イエスから愛されているのだということを知って、私たちは他の人との良き交わりの中で生きることができるのです。

2、家族や地域の人々に証しする
  イエス様によって救われ正気になったこの人は、イエス様が弟子たちと共に再び舟に乗って戻って行こうとされるのを見て、お供したいとしきりに願いました。彼はイエス様とずっと一緒にいたい、従っていきたいと願ったのです。
しかし、主イエスはこのように言われて彼をお帰しになったのです。「家へ帰って、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったか、語り聞かせなさい」(39)イエス様は今も神に救われた者が証しをすることを求めておられます。この証しをすることができるのは、他の誰でもない、イエス様によって救われた者だけです。悪霊は主イエスのことを「神の子」であると知っていました。しかし、イエス様は悪霊には「物を言うことをお許しにならなかった。」(ルカ4章41節 p.90)のです。また、「飼う者たちは、この出来事を見て逃げ出して、町や村里にふれまわった。」(34)とありますが、彼らもイエス様を証しすることはできませんでした。さらに、「それを見た人たちは、この悪霊につかれていた者が救われた次第を、彼らに語り聞かせた」(36)と告げています。成り行きを見ていた人たちも起こった出来事を告げることはできてもイエス様のことを私を救って下さった神の御子であると証しすることはできませんでした。この町でイエス様を証しすることができる唯一の人はこの男の人だけだったのです。自分が悪霊を追い出していただき、自分が救われて、本当の自分を取り戻すことができました。彼にしかできない使命が、今、主イエスから与えられたのです。そして、この人は実際にどうしたでしょうか。「そこで彼は立ち去って、自分にイエスがして下さったことを、ことごとく町中に言いひろめた。」(39)のです。このゲラサ人は、イエス様のご命令以上のことをしました。主イエスが求められたのは、自分の「家」に帰り、その家の者たちに「神が」あなたにして下さったことをことごとく話して聞かせなさいということでした。ところがこの人は、家族だけでなく、「町中に」(地域の人たちに)言い広めました。しかも、「イエス様が」自分にして下さったことを伝えました。彼は、自分を救って下さったのはただの人ではなく、神の御子であったと悟っていたのです。

結論)嵐を静められるほどに自然界をも支配されるお方、霊の世界をも支配されるお方、そんなお方が、たった一人のゲラサ人を救うために湖を渡って来られたのです。そして、イエス様は私たち一人一人をも尋ね出して救うために十字架の上にご自身の尊い命を犠牲としてくださいました。命をかけて救ってくださった主に私たち自身をお献げして参りましょう。
主イエスの足もとに座って礼拝し、み言葉をいただき、イエス様がこの私にして下さった大きなことを家族や地域の人たちに証ししてまいりましょう。