そこでイエスは、「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」と説きはじめられた。 ルカ4章21節
イエス様は荒野での試みに勝利された後、霊と力に満ちてガリラヤの諸会堂で宣教されました。さらに御自分の故郷ナザレでも宣教されます。会堂での礼拝でイエス様が伝えられたこととその結果は…
本 論)A.救い主の到来を告げる預言の言葉が実現した
イエス様は立ち上がられ、イザヤ書61章1-2節の箇所を朗読されました。(17-19)(旧約聖書p.1033)(2節の後半、「われわれの神の報復の日」は再臨のときに成就する預言なので、このときはお読みになりませんでした。)続いて主イエスは、御自身がこの書で預言されていた救い主であることを告げられます(21-22)。人々は主の説教に非常に驚き、賛嘆しました。聖書はイエス様が神の御子・救い主であることを証しする書です。
「あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書
は、わたしについてあかしをするものである 」 (ヨハネ5章39節 p.144)
「しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストで
あると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るため
である。」 (ヨハネ20章31節 p.177)
1、異邦人の救いの道が開かれる
その後、ナザレの人々はすぐにイエス様の出自を思い起こし、一転してつまずきます。
すると、彼らはみなイエスをほめ、またその口から出て来るめぐみの言葉に感嘆
して言った、「この人はヨセフの子ではないか」。 (22節 口語訳)
みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことば に驚いた。そしてま
た、「この人は、ヨセフの子ではないか」と彼らは言った。 (22節 新改訳)
「ヨセフの子に、そんな力があるはずがない。」と思い、彼らは目の前におられる
イエス様が、預言者イザヤが告げていた救い主だとは信じられなかったのです。 イエス様は、列王紀上17章のザレパテのやもめと列王紀下5章1-14のシリア人ナアマンの例を出され、ユダヤの人たちがイエス様を受け入れなければ、神の祝福は異邦人に与えられることを告げられます。神様に背いたアハブ王にその罪を知らせるため、預言者エリヤが、「今後数年、雨も降らないし、露も降りない。」と預言しました。そのためエリヤは追放されます。エリヤを預言者として匿(かくま)ったのはイスラエル人ではなく、北の異邦人の女性でした。(列王紀上17章8~16節 旧約p.506)預言者エリシャが神の人であることを聞いて、勧めに従いその力を求めたのは、イスラエル人の信仰者ではなく、異邦人の将軍ナアマンでした。 (列王紀下5章1~14節 旧約p.526)
それを聞いたユダヤ人たちは激怒し、イエス様を崖から突き落とそうとします。しかし、主はそこを立ち去られました。ナザレはイスラエルの国を象徴する場所であり、ナザレの人々はユダヤ人の代表でもありました。ナザレの人々は2度にわたってイエス様を受け入れることを拒否し、イスラエル全体が徐々に、イエス様を拒否する方向に向かいます。29節の出来事は、後のイエス様の十字架の死を予感させるものでした。
(ナザレの人々の2回目の拒否はマルコによる福音書の6章1~6節 p.59
結論)ナザレの住民と宗教指導者たちは、この日のうちに、イエス様を亡き者にしようとしましたが、それは、三年後のエルサレムまで、天の父なる神様がお許しになりませんでした、主イエスの十字架、栄光の時は父なる神が定めておられました。主の十字架と復活、そしてペンテコステ以降、今はユダヤ人も異邦人もすべての人が救われる恵みの時です。
「神はこう言われる、「わたしは、恵みの時にあなたの願いを聞きいれ、救の日
にあなたを助けた」。見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である。」
(コリント人への第二の手紙6章2節 p.283)
イエス様を「私の救い主」と告白しましょう。
「すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の
中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。 」
(ローマ人への手紙 10章4節 p.246)