すると、イエスがシモンに言われた、「恐れることはない。今からあなたは人間をとる漁師になるのだ。」 ルカ5章10節
群衆は、イエス様が語られる「神の言」(1)を聞こうとして、イエス様のもとに群衆が押し寄せて来ました。そのときイエス様は、ゲネサレ(ガリラヤ)湖畔に立っておられました。イエス様はペテロの舟に乗り、そこから群衆に向かってお話をなさいました。その後、ペテロに「沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい。」(4)と言われます。
ペテロは…
本 論)A.主の言葉に従う
漁師であるペテロは夜通し働きました。それで、イエス様の勧めに疑いの気持ちもありましたが、「しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう。」(5)と答えます。そして従った結果は、網が破れそうになり、舟が沈みそうになるほどの大漁でした。いつもと同じように網をおろしたはずなのに、なぜ夜は全く獲れず、この時は大漁だったのでしょう。それは、「お言葉ですから」とイエス様の言葉に従い、言われた通りの場所に網をおろしたからです。主イエス様のみ言葉に従う、これは私たちのみ言葉信仰です。 今、何か物事がうまくいかないように、あるいは何か物足りなさを感じているなら、私たちはみ言葉を聞きそれに従うことを忘れていないかどうかを省みるときです。このときのペテロのように疑いの気持ちがあったとしても、イエス様のみ言葉に従うとき、神様が大きなみわざを私たちを通して現して下さいます。それは私たちの力ではなく、全知全能の神様の力の現れです。イエス様は、今も、私たちに対しても、聖書のみ言葉に従うことを願っておられます。 ペテロは舟の中で、イエス様のひざもとにひれ伏し、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者です。」(8)と言いました。ペテロは、計り知れない力を持っておられ、すべてをご存知のイエス様の権威に打たれました。そして、主イエスに対して今までの「先生」ではなく「主よ」と呼びかけました。彼は、神の御子イエス様の前に立って、自分が罪深い者であることを示され、それを正直に認めました。神様の前に、自分が罪ある者であることを認めることが新しい歩みの第一歩になります。
1、新しい使命を与えられる
「わたしから離れて下さい。…」と言ったペテロに対してイエス様は、「恐れることはない。今からあなたは人をとる漁師になるのだ」と言われ、新しい使命を与えられました。ペテロたちはいっさいを捨ててイエス様に従いました。その後、彼らはイエス様の弟子として寝食を共にし、多くの人々に救い主の到来を伝えて回りました。しかし、弟子として未熟なペテロたちは、失敗してしまうこともありました。後にイエス様が十字架にかかる 直前、ペテロがイエス様のことを知らないと言い、また他の弟子たちも十字架にかかられたイエス様のもとから逃げ去ってしまいました。 でも、イエス様は三日後に復活され、彼らに御姿を現して下さいました。さらには、聖霊が彼らの上に降り、十字架と復活のキリストを喜んで証しする者へと変えられたのです。彼らはイエス様に従って祝福された人生を送りました。イエス様は、ペテロたちのように私たちに対しても「わたしに従って来なさい。」と言われます。「私は何も役に立たないから駄目です…」とは思わないで下さい。イエス様が選ばれたペテロたちは特別に強く優秀な人たちではありませんでした。ペテロは、イエス様のこのときのお言葉に半信半疑であり、自分が罪深い者であると認めていました。しかし、イエス様は、自分の罪深さに気づき、ご自分を神の御子、救い主として認め、信じた彼をあえて選ばれたのです。イエス様に従って損はありません。実際、今まで数え切れないほど多くの人々が自分の人生をかけてイエス様に従い、それぞれが神様に宿された人生を歩んでおられます。「すべてを捨てて」と聖書は語りますが、かつてペテロたちが地上に生きたおられたイエス様に従っていくためには文字通り、自分たちの仕事も家も捨てて行かなければなりませんでした。でも、イエス様が罪ある私を救うために十字架にかかられ復活されて、今は聖霊によって共にいて下さいますから、私たちは、どこに行かなくても、今、ここで心からイエス様を呼び求め、イエス様に従うことができます。私たちにとって「すべてを捨てて」と言うのは、イエス様が「まず神の国と神の義とを求めなさい。」(マタイ6章33節 p.9)と語られたように、第一にすべきものを第一とする生活をすることです。
結論)誰よりもまずイエス様ご自身が「人間をとる漁師」であったということができるでしょう。そのお方が私たちにもお声をかけていてくださっています。「人間をとる漁師」は牧師だけではありません。イエス様を信じて、救われた人はみんな「人間をとる漁師」です。イエス様は罪びとのために祈り、話を聞き、癒しを行なわれました。そして、十字架の死に至るまで遜り、御父と人とにお仕え下さいました。私たちも職場や学校や家庭で、出会う人たちのために祈り、その人たちの傍らで聞き、共に泣き、笑う良き隣人になることも、その漁師の役目です。イエス様の愛と恵みを伝えて周りの人を生かす人が「人間をとる漁師」です。私たちが第一のものを第一として歩んで行くなら神様が私たちに必要なものすべてを与えて下さいます。また、「私はイエス様に従っていきます」と新たな一歩を踏み出す者に、イエス様が力強い御手をもって助けを与えて下さいます。それぞれが遣わされた生活の場でイエス様と共に歩むことを神様は願われ、今も私たちに働きかけておられます。イエス様を知らずに罪の中に苦しんでいる人たちが多くおられます。その人たちのためにも、イエス様は私たち一人ひとりを必要としておられます。イエス様に従う喜びと祝福を体験させていただきましょう。