ルカによる福音書4章1~13節

「イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』と言われている」。 悪魔はあらゆる試みをしつくして、一時イエスを離れた。」            ルカ4章12-13節 

  洗礼者ヨハネから洗礼(バプテスマ)を受けられたとき、聖霊が主イエスに降りました(ルカ3:22)。「荒野を四十日の間、御霊にひきまわされ」は、ある英語訳では「聖霊に導かれて荒野をさまよった…」とあります。イエス様は聖霊に導かれて荒野で四十日を過ごされたのです。悪魔の試み(誘惑)にあわれたイエス様は…

本 論)A.聖書の言葉によって試みに打ち勝たれた
  悪魔は荒野で、「もしあなたが神の子であるなら、この石に、パンになれと命じてごらんなさい。」(3)と迫り、神の子の権威で行う奇跡によって救い主であることを人々に示せと誘惑しました。しかし、イエス様は、この試みに旧約聖書のみ言葉をもって打ち勝たれました。

「人はパンだけで生きるものではない」(4)

「人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きる
ことをあなたに知らせるためであった。」(申命記8章3節 p.258)

第二の誘惑において、悪魔は主イエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべてを見せました。そして、

「もしあなたがわたしの前にひざまずくなら、これを全部あなたのものにして
あげましょう。」(7)

と言いました。イエス様は次のように答えられます。

「主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ」  (8)

「あなたの神、主を恐れてこれに仕え、その名をさして誓わなければならな
い。」(申命記6章13節 p.255)

今、悪魔が握っているこの世の権力や繁栄は神様から一時「任せられている」(7)ものです。それらを本当に所有し支配しておられるのは神様なのです。そして神様は最後にはそれらを悪魔から取り上げて、御子イエス様にお与えになるのです。
第三の誘惑は、神殿の屋根の端から飛び降りてみろ、というものでした。それに対して主イエスは

「主なるあなたの神を試みてはならない」(12)

と答えられます。

「あなたがたがマッサでしたように、あなたがたの神、主を試みてはなら
ない。」  (申命記6章16節 p.255)

(悪魔が引用(利用)した聖句(10-11))
「神はあなたのために、御使たちに命じてあなたを守らせるであろう」
(10)
「あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえ
るであろう」(11)
これは主があなたのために天使たちに命じて、あなたの歩むすべての道
であなたを守らせられるからである。彼らはその手で、あなたをささ
え、石に足を打ちつけることのないようにする。」
(詩篇91篇11-12節 p.830)

主イエスがここで拒んだのは「神を試す」ことでした。イエス様は、神の御子として、父である神様を深く信頼して、試したりすることを拒んで、ご自分を全て神に委ねて歩んで下さいました。  イエス様は、三度とも申命記のみ言葉で、きっぱりとお答えになりました。これらのみ言葉を即座に引用されたことは、どれだけイエス様が聖書の言葉に通じておられたかを示しています。  私たちにとっても、聖書の言葉(神の言)が、悪魔や悪の霊の誘惑や試みと戦い、打ち勝つための武器です(エペソ6:17)。

「また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさ
い。」(エペソ人への手紙6章17節 p.307)

1、父なる神の御心に従われた
 悪魔の誘惑は、イエス様を十字架の道へと行かせまいとする誘惑、十字架を抜きにした救いの道を提案するものでした。この試みに打ち勝たれたイエス様から悪魔は一時離れました。(13)   しかし、この後も、イエス様と弟子たちを十字架の道と十字架の信仰から逸らすそうとするサタンの試みは、休むことなく続いたのです。悪魔は人を通して主に働きかけ、十字架への道を妨げようとしました。(マタイ16:22-23、マルコ15:29-30等)。 イエス様はそれらの試みも斥けられ、救いの道を完成されました。

「すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、『すべてが終った』と言わ
れ、首をたれて息をひきとられた。」 (ヨハネ19章30節 p.175)
(新改訳聖書では「完了した」
新共同訳聖書では「成し遂げられた」と訳されている)

十字架にかかられ、三日後に復活されたイエス様は罪の力にも死の力にも打ち勝たれました。そして悪魔にも完全に勝利されたのです。この勝利は、どんなことがあっても、 もはや揺るがされることはありません。

結論)悪魔は主イエス様に対して、父なる神様の御心通りに歩ませないようにと働きかけてきました。悪魔は私たちに対しても神様から引き離そうと誘惑を試みてきます。  私たちは聖霊によりイエス様から力をいただいて様々な誘惑と戦います。今もイエス様は、私たちに聖霊とみ言葉を与えて下さり、試みや誘惑に遭う私たちを励まし、支え、乗り越える力を与えて下さいます。

「そこで、イエスは、神のみまえにあわれみ深い忠実な大祭司となって、
民の罪をあがなうために、あらゆる点において兄弟たちと同じようになら
ねばならなかった。 主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬
の中にある者たちを助けることができるのである。」
(へブル人への手紙2章17-18節 p.345