ルカによる福音書3章18~22節

「…、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である』。」              ルカ3章22節 

  洗礼者ヨハネは、領主ヘロデの不道徳や悪事を非難したことにより、獄に閉じ込められます。その出来事が起こる前に、ヨルダン川でイエス様はヨハネから洗礼を受けられ ました。その後、主イエスが祈っておられると…

本 論)A.天から聖霊が降った
  イエス様が人々の前に現われて福音を伝え、十字架にかかられるまでの約3年半の御生涯を公生涯と言います。イエス様は公生涯の出発に際して祈られました。ある先生は、この箇所のみ言葉を黙想され、イエス様は、祈らなくてもやっていけるという自分自身をヨルダン川に投げ捨て、祈り無くしてはやっていけない者となってヨルダン川から上がられ祈られたと語っておられます。このように絶えず父なる神に祈られるお方としてイエス様は歩まれました。祈りをもってはじまり、十字架の上での祈りをもって終わられたのがイエス様の地上の御生涯でした。ヨルダン川でも祈り続けておられたイエス様に聖霊が鳩のように下りました。イエス様は、父なる神に祈り、ご聖霊に導かれて歩まれます。
イエス様を神の御子、救い主と信じた、私たちは、ご聖霊を内にいただき、神様に「アバ、父よ…」、「天の父なる神様」、「天のお父様…」と呼びかけて祈ります。

「このように、あなたがたは子であるのだから、神はわたしたちの心の中に、
「アバ、父よ」と呼ぶ御子の霊を送って下さったのである。」
(ガラテヤ人への手紙4章6節 p.297)

そして、聖霊によって神の愛が私たちの内に注がれ続けているのです。

「そして、希望は失望に終ることはない。なぜならわたしたちに賜わっている
聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。 」
(ローマ人への手紙5章5節 p.238)

私たちはイエス様にならい、父なる神様に祈りながら歩んでいきます。

  1.  天からの御声が響いた
    聖霊が鳩のようにイエス様の上に降った後、すぐ天からの御声が響きました。

「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」 (22)

これは旧約聖書の預言の言葉の成就でもありました。

「わたしは主の詔をのべよう。 主はわたしに言われた、「おまえはわた
しの子だ。きょう、わたしはおまえを生んだ。…」 (詩篇2篇7節 p.750)

この詩篇はユダヤの国の王の即位式のときに歌われた詩ですが、真実の王である御子イエス様が、これから公生涯を始められることを示していました。

「わたしの支持するわがしもべ、わたしの喜ぶわが選び人を見よ。わたしは
わが霊を彼に与えた。彼はもろもろの国びとに道をしめす。」
(イザヤ書42章1節 p.1001)

これは真実の王、救い主が主のしもべとして苦難の道を歩まれること、御子イエス様
のことを父なる神様が喜ばれることを預言している言葉です。この天からの御声は、イエス様が主のしもべとして、十字架の道を歩み始められる宣言でもありました。今も生きておられるイエス様は、「傷ついた葦」、「ほのぐらい灯心」(イザヤ42:3)のような弱い私たちを支え、行くべき道を示して下さいます。私たちも、聖書の言葉を通して、神の御声を聴くことができます。今も神様は、「あなたはわたしの愛する子、…」と私たちへの愛の言葉を語り続けて下さっています。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛してい
る。」(イザヤ書43章4節 新改訳聖書p.1194)

「主は遠くから彼に現れた。わたしは限りなき愛をもってあなたを愛して
いる。それゆえ、わたしは絶えずあなたに真実をつくしてきた。」
(エレミヤ書31章3節 p.1098)

結論)聖霊は私たちに聖書のみ言葉を示され、その光によって、私たちの人生を導いて下さいます。祈って聖書を読み、心に響いたみ言葉を自分の内に受け取り、そのみ言葉に従ってまいりましょう。そして、み言葉をまだ知らない人たちにお伝えさせていただきましょう。