使徒行伝2章1~11節

 「一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。」 使徒2:4

  イエス様が昇天された後、弟子たちはひたすら祈って聖霊を待ち望みました。

「彼らはみな、婦人たち、特にイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たち
と共に、心を合わせて、ひたすら祈をしていた。」(使徒1:14)

10日間、祈り続けた弟子たちについに聖霊が降りました。(1-3節)   聖霊によって弟子たちに与えられたものは…

本 論)A.キリストの愛が注がれた
「風」は、「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。」(創世記2:6)の「息」と同じ言葉が使われています(創世記はヘブライ語ですが)。そして、この「風」を表わす言葉は「神の霊が水のおもてをおおっていた。」(創世記1:1)の「霊」ともつながりがある言葉です。神様がアダムに命の息を与えられた時のようにペンテコステの日は、待ち望んでいた人たちが聖霊で満たされ、聖霊によって彼らの内に注がれるときでした。

「…、わたしたちに賜っている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれ
ているからである。」 (ローマ人への手紙5章8節 新約p.238)

聖霊に満たされた後の弟子たちの生活について次のように記されています。

彼らはいっさいの物を共有し、資産や持ち物を売っては、必要に応じて分け合
いました。(使徒1:44~45)。
そして、心を一つにして、礼拝を守り、聖餐と賛美の日々を過ごし、すべての人に好意を持たれていました。弟子たちは、キリストの愛をいただいて、神を愛し、隣人を愛する者へと変えられたのです。それは、かつてイエス様が教えられていた二つの戒めの成就でもありました。

「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せ
よ。」
「自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ。」(マタイ22:37~39 p.37)

ペンテコステの日以降、イエス様を私の救い主と信じ、心に受け入れるすべての人の内に、聖霊が住まわれます。そして、私たちもキリストの愛を内にいただいて神を愛し人を愛する者へと変えられ、主に似た者へと成長させて下さるのです。

B.キリストを証しする力を与えられた
  3節の「舌のようなもの」は新改訳聖書では「炎のような別れた舌」と訳されています。それが、弟子たちの上にとどまったのは、聖霊が降り、「火」によるきよめがなさ れたしるしであり、キリストの証人となるために福音を語る力を与えられることを示しています。そして、それは「ひとりびとりの上に」とどまりました。神様は私たち一人ひとりに聖霊を与え、その火で罪をきよめ、イエス様が救い主であることを証しする力を与えて下さいます。弟子たちが聖霊に満たされた結果の一つの表われは、さらに救われる人が起こされ、教会に加えられていったことでした。

「そして主は、救われる者を日々仲間に加えて下さったのである。」(使徒2:47)

イエス様が「聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて…わたしの証人となるであろう」(使徒1:8)と仰られたように、弟子たちはイエス様が神の御子、救い主であることを多くの人たちに伝えることができる力が与えられました。弟子のペテロもその一人でした。ペテロは、かつてイエス様を裏切り、見捨てて逃げてしまいました。でも、そのような失敗したり、弱さを持った人にも聖霊は注がれたのです。イエス様を信じ、聖霊を祈り求める人には誰にでも注いで頂けるのです。聖霊に満たされたペテロは、力が与えられ人を恐れないでイエス様を伝える人に変えられました。ペテロは説教の中でこう語りました。

「イスラエルの人たちよ、今わたしの語ることを聞きなさい。あなたがたがよく
知っているとおり、ナザレ人イエスは、神が彼をとおして、あなたがたの中で
行われた数々の力あるわざと奇跡としるしとにより、神からつかわされた者で
あることを、あなたがたに示されたかたであった。」(使徒2:22)

「あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお
立てになったのである。」 (使徒2:36)

他の弟子たちもイエス様を証しするために、各地に遣わされていきました。使徒行伝の後半に活躍する使徒パウロも自分の回心の体験を語り、主イエスが自分にして下さったことを証ししました。教会の出発点は、そこにあったのです。

結論)
  ペンテコステの日以降は、「聖霊の時代」であり、「恵みの時代」です。だれでも、イエス様を信じれば、罪から救われ、神様を「父なる神様、…」と呼ぶ、「御子の霊(聖霊)」が与えら れます。そして、神様に祈り、主の御名を賛美し、主を 愛し、喜ぶ者へと変えられます。 聖霊に満たされ造り変えられて、多くの人にイエス様を 伝える者、証しする者とさせていただきましょう。