使徒行伝1章9~11節

 「イエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう。」使徒行伝1:11

 

 イエス様が復活され、昇天されるまでの40日間は、弟子たちにとって、喜びの日々でした。十字架で死なれ、もうお会いできないと思っていたイエス様がよみがえって下
さいました。主イエス様は、弟子たちを愛され、語り、教えて下さいました。弟子たちは、こんな夢のような日々が、いつまでも続けば良いと思ったことでしょう。ところが、イエス様は天に上げられました。雲に包まれて、御姿が見えなくなってしまいました。弟子たちは、呆然とそれを見つめていました。御使いを通して語られた主の約束と私たちの信仰は…

本 論)
A.同じ有様で(11節)
イエス様が、もう一度、この地上においでになるとき、それを主の再臨のときと言います。弟子たちはイエス様が力と栄光のうちに天に帰られるのを目撃しました。昇天の時と同じように、再臨の主は目に見える形を取って来られるのです。今は、目に見えないで私たちと共に、私たちの内に(ガラテヤ2:20)おられますが、その時は目に見える形をとって来られます。主イエスもご自分の再臨について語られました。
そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々
は見るであろう。(ルカ21:27 p.127)
選ばれた者たちの救いの完成のために、天地万物が新天新地に一新されるためにキリストはもう一度、栄光のうちに来られるのです。

B.再臨待望信仰
昇天されたイエス様は、今、私たちのためにとりなし祈っておられます。
しかし彼は、永遠にいますかたであるので、変らない祭司の務を持ちつづけて
おられるのである。 そこでまた、彼は、いつも生きていて彼らのためにとり
なしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるの
である。(へブル人への手紙7:24-25 p.350)
イエス様が今も私たちのために祈って下さっているから私たちもイエス様にならってとりなしの祈りを続けることができます。そしてイエス様の御名のゆえに父なる神様は私たちの小さな祈りを聞き、実現に至らせて下さいます。
森山諭先生は、「再臨信仰」ではなく、「再臨待望信仰」である、と言っておられます。天におられるイエス様がやがて来て下さるとただ漠然と信じるのではなく、私たちが求められているのは再臨の約束をして下さったイエス様を待ち望む信仰です。
天におられるイエス様が、もう一度、この地上に来て下さることを待ち望んで、私たちも祈り続けます。
「アァメン、主イエスよ、きたりませ。」(ヨハネの黙示録22:20 p.409)

結論)主の十字架、復活、昇天、再臨と神様は大きなご計画を持って、この世界を導き、みわざを進めておられます。聖書に書かれている主イエスの約束は真実です。私たちは救いの究極である、キリストの再臨を待ち望みましょう。聖霊とみ言葉による主との交わりを深め、喜びを持って主をお迎えできるよう備えてまいりましょう。