ルカによる福音書2章8-20節

きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。                  ルカ2章11節

  神のひとり子であるイエス様がこの地上にお生まれになった夜、主の御使いがベツレヘム郊外にいた羊飼いの前に現れました。当時の羊飼いは貧しく、社会的な立場も低い と思われていた人たちでした。御使いが彼らに告げたことはどのような内容だったでしょう。それを聞いた羊飼いたちはどうしたでしょう。

本 論)A.御使いは「大きな喜び」を告げた

 御使いは、神殿で仕えていた祭司や律法学者たちにではなく、日常の務めを果たし、謙遜に神様を信じ、救い主を素直に待ち望んでいた羊飼いたちに姿を現しました。
御使いは、野宿して羊の番をしていた羊飼いたちに救い主の誕生を告げます。(10-11節) 今日、お生まれになったお方は、旧約聖書に約束されていた、救い主(キリスト)である。この方の誕生によって、神様の約束が実現したのだと告げられました。そして、このキリストは主である。つまり、まことの神として私たちが信じ、礼拝すべき方なのだと語られました。このキリストであり、主である救い主の誕生が大きな喜びとして告げられたのです。救い主の誕生は、「あなたがたのため」であり、「すべての民に与えられる大きな喜び」でした。他の何物によっても得ることのできない喜びをこのお方は与えて下さるという宣言です。
では、どうしたらそのお方にお会いできるのでしょう。御使いは続けます。(12節)救い主誕生のしるしは、飼い葉おけの中に寝かせられている、布にくるまれた乳飲み子でした。
天使の軍勢が主のご降誕を喜び賛美します。(17節)
神様はまず誰よりも最初に、羊飼いたちにこの大きな「喜びの知らせ」を告げてくださいました。
聖書の中に「福音」という言葉がありますが、「福音」とは「良い知らせ」という意味で、イエス様が神の御子、救い主であること、あるいはイエス様ご自身を意味していいます。
御使いから、羊飼いたちへ、伝えられた喜びの知らせは、イエス・キリストの十字架と復活による勝利の知らせと共に今に至るまで全世界に伝えられています。
クリスマスをお祝いするのもこの喜びを共に喜ぶためです。今も、私たちが喜びの知らせである福音を聞き、イエス様を信じ、心に受け入れるとき天にも地にも大きな喜びがあります。
「よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。」(ルカによる福音書15章7節 p.115)
「よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使たちの前でよろこびがあるであろう」。(ルカ15章10節 p.115)
イエス様を信じる人が起こされるとき、私たち人間が喜ぶだけでなく、天の御使いたちも喜び、父なる神様も喜ばれるのです。
野宿しながら、夜中に仕事をしていた羊飼いたちを、神様が訪ねて下さり、良き知らせを告げて下さったように、神様は、今、私たち一人ひとりを訪ねて下さり、イエス様がどのようなお方であるかを聖書の言葉を通して語りかけて下さっています。

B.羊飼いたちは、主イエスにお出会いし、賛美しつつ帰って行った

 羊飼いは、御使いの言葉を聞き、幼な子に会いに行こうとします(15節)。
羊飼いたちは、御使いのメッセージを「主がお知らせ下さった…」(15節)と信じ、急いベツレヘムに向かいました。そして、幼な子イエス様を探し当て、自分たちに起こった出来事をそこにいた人々に伝えます(17節)私たちの救い主が誕生されたときの姿は、人間が住む部屋の中にも入れず、布にくるまって飼い葉おけに寝かされた乳飲み子の姿でした。偉大な救い主であるならば、もっと良い所に、立派な服を着てお生まれになったらよかったのにと私たちは思うかもしれません。しかし、父なる神様はそうなさいませんでした。まことの神である救い主は、最も弱く小さな者として、お誕生されました。そこまで、
神の御子は低きに降られ、私たちのところに来て下さいました。
救い主が最も低いところに来て下さった御姿は、十字架の御姿を暗示しています。最も小さき者としてお生まれになった救い主は、最も低きに降られた者として十字架につけられます。「それが、あなたがたに与えられるしるしである。」(12節)と御使いは告げましたが、まさにそのしるしが、乳飲み子のときから現れていました。救い主の誕生の知らせが、「大きな喜び」となるための鍵は「あなたがたのために」という言葉にあります。御使いは、これは「あなたがたのための」救いの出来事だと告げたのです。あなたのために、神様は救い主を遣わされ救いの恵みを与えようとしておられる、それが「大きな喜び」なのです。 

結論)羊飼いたちは神様をあがめ、賛美しつつ自分たちが世話をしている羊たちのいる場所へと帰って行きました(18節)。
私たちも教会に集い、父なる神様とイエス様に新たにお出会いするのです。御使いたちや羊飼いたちが主を賛美したように、私たちも神様から恵みの言葉をいただき、主への賛美の心を持って新たに、それぞれの家庭、職場、学校等に遣わされていきます。神様が遣わされた所、置いて下さっている所で、「わたしの救い主」イエス様を証しし、「平和をつくりだす人」(マタイ5章9節 p.5)として歩みましょう。