…、マリヤは月が満ちて、 初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。 ルカ2章6-7節
今から約2000年前、ローマ帝国(初代皇帝アウグスト)が「全世界(地中海周辺)」を支配していました。皇帝の勅令によって、紀元前8年頃、人口調査が行われました。
そのような時代に、主イエスは御降誕されました。
イエス様は…
本 論)A.旧約聖書の預言通りの救い主として誕生された
人口調査のため、ダビデ王の血統であるヨセフと妻マリヤは、ナザレからダビデ家の故郷であるベツレヘム(ダビデの出生地)へ向かいます。救い主(キリスト)は、ダビデの子孫として生まれ、「ダビデの町」ベツレヘムに生まれると旧約聖書に預言されていました。 (サムエル記下7章12~13節 p.441)
「しかしベツレヘム・エフラタよ、あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、イスラエルを治める者があなたのうちからわたしのために出る。その出るのは昔から、いにしえの日からである。」(ミカ書5章2節 p.1288)
ローマ皇帝の勅令とそれに従ってベツレヘムに行ったヨセフの行動の背後に、父なる神様のご摂理の御手があり、イエス様はベツレヘムで誕生されました。旧約聖書の預言が成就したのです。
イエス様がベツレヘムでお生まれになったのは、神様が前もって計画し、告げておられたご計画の成就、み心の実現だったのです。主なる神様こそ、皇帝をも御手の下に置き、用いて私たちの救いのためにみ心を実現して下さる本当の支配者なのです。
今、このときも、父なる神様は、私たちがイエス様にお会いすることができるように日々、働きかけておられます。
後にイエス様は、このように言われました。
「わたしをつかわされた父が引きよせて下さらなければ、だれもわたしに来ることはできない。わたしは、その人々を終りの日によみがえらせるであろう。 」
(ヨハネによる福音書6章44節 p.146)
イエス様を地上に送って下さった父なる神様が、私たちをイエス様のもとに引き寄せって下さったから、私たちはイエス様のもとに来ることができました。
父なる神様は、私たちの人生も、すべてのことを益として下さるように働きかけ、導いて下さっています。
私たちを愛し、祝福したいと願っておられる父なる神様を信頼し、祈りながら歩みましょう。
B.私たちを罪から救うために低きに降られた
ヨセフとマリヤが泊まろうとした客間には「余地がなく」イエス様は家畜小屋(洞窟の中?)で誕生されました。全世界の救い主、王の王である御方が、飼い葉おけに寝かされたのです。天の栄光の座におられた神の御子が、私たちを罪から救うために、地上の低い所にお生まれになり、さらに最も低い十字架にまで降られました。客間に余地がなかったことが暗示しているように、ユダヤの民は、イエス様を救い主として受け入れませんでした。
「彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。」 (ヨハネ1章11節 p.135)
そして飼い葉おけは、イエス様がこれから歩まれる御生涯を、とりわけ、その最後の十字の死を暗示しています。
ユダヤの宗教指導者たちは、策略をめぐらし、イエス様を十字架に追いやりました。しかし、父なる神様は主イエスの御苦しみと十字架の死によって私たちのために救いのみ業を成し遂げて下さいました。そして復活によって私たちにも、死に勝利する新しい命を与えて下さったのです。
「客間には余地がなかった」、この言葉は私たちの心の問題に置き換えることができます。あなたの家(心)には、救い主をお迎えするための客間(場所)がありますかと問われています。
ときに私たちは救い主のことを忘れてしまったり、お迎えできないような心になってしまうことがあるかもしれません。あるいは、救い主など今の自分には要らない、自分の力だけでやっていけると思ってしまいます。そのようなときには、私たちの心に救い主をお迎えする場所を失ってしまっています。
しかし、復活されたイエス様が、弟子たちを訪ねていかれたように、イエス様は、今、私たち一人ひとりを訪ね、心を開いて、私を心に受け入れてほしいと願い、私たちの心の扉を叩き続けておられます。
「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはそのにはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。」 (ヨハネの黙示録3章20節 p.390)
結論)イエス様が復活され、弟子たちにみ姿を現された後、イエス様を救い主と信じる人たちが次々と起こされていきました。
「しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。」 (ヨハネ1章14節 p.135)
イエス様を神の御子、救い主として信じ、心に受け入れた人は神の子とされているのです。罪ある私たちを罪から解放し、神の子とするためにイエス様はこの世に来て下さいました。
イエス様は、受け入れようとする場所が全くなかったこの世界に来て下さいました。客間の整わない(受け入れる備えがまだできていなかった)私たちのところにも来て下さいました。そして、私たちを信じる者へと変えて下さり、神の子として下さいました。
「アドベント(待降節)」のもとの意味は「~に向かって来る」という意味です。クリスマスの近づくこのとき、私のもとに来て下さったイエス様を心にお迎えしましょう。
単なる喜びだけでなく、深い畏れと感謝をもってクリスマスに備えましょう。