サムエル記上26章6-12節

「私は、神に信頼しています。
それゆえ、恐れません。
人が、私に何をなしえましょう。」
(新改訳聖書 詩篇56篇11節)

  サウル王がダビデを亡き者にしようとしたのは、ダビデの方が自分より人気があったからです。命の危険を感じたダビデは、親友のヨナタンに「さようなら」とあいさつを して逃げ出します。誰もいない荒野に行って、明るいうちは夢中で走りました。夜になると、自然にできた岩穴に入って眠りました。荒野で苦しい旅をしているダビデに、少しづつ仲間が増えました。かつて大男のゴリアテを倒したことを知っている人たちが、「家来にしてください」と言ってついてきたのです。
ダビデが逃げ出したことを知ったサウル王は、腹を立てて家来に「ダビデを探せ!」と命令しました。追われたダビデは、王様に対して何をしたのでしょうか。

本 論)A.サウル王は主が油を注がれた者

ある日、サウルはダビデがジフの荒野にいると聞きました。かつてエンゲデの野で、ダビデを殺そうとした自分の行動を涙ながらに悔いたサウルでした。(24章16-22節)しかし、またしても3000人の精鋭を率いてダビデを追って来ました。
荒野に隠れているダビデたちは遠くから馬が走ってくる音を聞きました。王様の馬です。兵隊も大勢います。それを聞いたダビデは、素早く行動を開始します。ダビデは夜まで待ち、サウルと部下たちが寝静まったときに、彼らの陣営に忍び込みました。王様は、テントの中で横になって眠っています。王様の家来たちも、彼の周りでぐっすり眠っていました。ダビデたちが来たことに気づいた人は誰もいません。
ダビデの家来アビシャイが言いました。「ダビデ様、チャンスです。王を討ちましょう。」王様の枕元には長い槍が地面に突き刺してあります。家来がまた言いました。「あの槍で、一気に突きましょう。私にやらせて下さい。」けれどもダビデは、エンゲデのほら穴のときのようにこれをきっぱりと退けました。(24章6-7節参照)
「彼を殺してはならない。主が油を注がれた者に向かって、手をのべ、罪を得ない者があろうか」(9)ダビデたちは、王様の枕元にあった槍と水差しをもって、そっとテントを出ました。ダビデは、サウルを王とされた神様を仰ぎ、神様に心を向けていました。ダビデはどんな場合でも神様のみこころを大切にしました。
ダビデは、自分を殺そうとしたサウル王をゆるしました。私たちもある人が敵のように思えるとき、その人を愛せないとき、自分の内に敵意や憎しみ等の悪い思いがあること に気づかされ、自分の愛のなさを示されます。でも、そのときこそ、この箇所のダビデの姿、そして十字架の上で敵をゆるし、祈られ、愛された主イエス様のみ姿を思い起こしましょう。その人のことも神様は愛しておられるのです。そしてさばきは神様に委ねましょう。イエス様が私たちに愛を注ぎ、その人のために祈る力をも与えて下さいます。

B.神様にお任せする歩み

自分の陣地に帰った後で、ダビデは遠く隔たった山の頂 から大声で叫びました。「王様の槍と水差しがここにあります!」 王様は驚いて飛び起きました。「ダビデ、おまえなのか?」 ダビデは答えます。「はい、私です。私は、王様が眠っている間に王様の命を奪うこともできました。でも、そうしませんでした。私が王様の命を大切にしたように、神様は私の命を大切にして助けてくださるのです。」 サウルは、自分の行動が間違っていたことに気づかされました。「ダビデ、私が悪かった。あなたがすることは なんでもきっとうまくいくだろう。」そう言って王様は 帰っていきました。
ダビデの言葉を聞いて、自分が罪を犯したことを認めた サウルでしたが、この26章で、彼から「主」という言葉は聞かれませんでした。これに対して、ダビデは何度も
「主が…」と語り、神様に祈っています。そして、さばきを 主に委ねました。   「主は生きておられる。主が彼を撃たれるであろう。あるいは彼の死ぬ日が来るであろう。あるいは戦いに下って行って滅びるであろう。 」(10)

結論)聖書は、サウルたちが眠っていたのは、「主が彼を深く眠らされたからであ。」(12)と語ります。かつて、神様はアダムとアブラハムも深く眠らされたことがありました。 (創世記2章21節 p.3創世記15章12節 p.16) 12節のみ言葉からも人間の目には日常の営みに思える出来事の背後にも神様のご支配と深いご計画があることを示されます。「主は人おのおのにその義と真実とに従って報いられます。」(23)
イエス様と共にすべてを神様に委ね、正しく真実な歩みができるように祈り求めてまいりましょう。